良いもんつたえ隊 【映画でじぶんを変えてゆこう】

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『えんとつ町のプぺル』購入!あらすじ感想、西野亮廣のブログを語る

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「信じぬくんだ。たとえひとりになっても」

 

西野亮廣(にしのあきひろ)著『えんとつ町のプぺル』買ってきました! 結論からいって事前の期待の3倍くらい楽しむことができました。もともと表紙の絵の美麗さは知ってましたので、それなりの価値はあるとは踏んでいましたが……これほどとは! 西野さん以外にも多くの才能あるクリエイターが集まって創られたそうで(そのあたりの事情も↓で説明してます)。いろんなセンスが凝集されてましたね。すごい! 「買ってみるんだ。いちもんなしになっても」。

 

絵のクオリティは?

ストーリーは?

ゴーストライター疑惑あるんだってね!

 

などなどについて『えんとつ町のプぺル』各ページの写真や、西野さんのブログ『キングコング西野オフィシャルダイアリー』からの引用を交えながら説明していこうと思います。興味があればぜひ寄っていってください。

 

↓目次です

 

絵本コーナーでうろつくオッサン

 

↓のアメトーーク「スゴイんだぞ!西野さん」についての記事を書いてるときにふと興味が浮かびまして。「どういう内容なんだろう」って。西野さんの絵本。

iimonntsutaetai.hatenablog.com

 

よし、いっちょ買いに行ってみるか! ということで先週土曜日に少し遠いイオンの本屋に行ってきました。発売されたのはごく最近なので、もしかしたら近くの小さな本屋にも置いてあったかな~遠くまで行かなくてよかったかな~とちょっと後悔しましたが。でも内容がよかったのでプラスマイナス余裕でプラス、ですね。

ただね~置いてないやん! って最初はかなり焦りました。子どもの絵本コーナーを30分ぐらい歩き回っても、ない! 海外の絵本コーナーに間違えて置かれてんじゃないのって店員さんを疑っちゃいましたね。絵柄が海外っぽいから。あちこち探しましたけど、ホントにぜんぜん見つからない! そこで最終手段、店員に聞く。「子ども用の絵本どこにあるか聞くの嫌だな~」と感じながら。でも堂々と尋ねましたよ!「えんとつ町のプぺルってどっどっどこにありますか……」そしたらまさかの画集コーナー。絵本コーナーではなく画集コーナーに置いていた……。マジか……。みなさんは先に画集コーナーを先に探したほうがいいかも。だいの大人が子ども用の絵本の周りをウロウロしている姿は……事案。

 

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【良いもん安心安全情報】

10月22日(土)午後六時ごろ、イオンモール内の書店「紀伊國屋」の店内で上下黒の服装をした怪しい男が、小さい子供が集まる絵本コーナーでうろついていた。その男は「えんとつどこや」などと意味不明なことを呟いており、絵本コーナーに行かれる方はお子さんから目を離さないでください。

※男の特徴

年齢25~35歳、身長170~175cm、色黒、髭が濃い、黒いシャツ、黒いズボン、安そうな靴

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的なね。

 

 

発売から一週間たった今でもAmazonベストセラー第1位!(カゴテリ-本、2016/10/26時点の情報、発売日2016/10/21)そんな『えんとつ町のプぺル』あらすじはどんな感じ?

 

ではさっそく『えんとつ町のプぺル』開きましょう。

 

↓イラストが描かれた最初のページ

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えんとつの町に住むひとは、くろい煙にとじこめられていて、

あおい空を知りません。

かがやく星を知りません。

(左ページに書かれていた文章を一部抜粋)

 

う~ん美麗な絵。実際のイラストは↑の画像よりもっともっと細かく描かれています。イラストの細部にカメラの画素数が負けてる。何日かけて描いたんだろう。書き込みがスゴいってこういうことなんだなと改めて感動しました。幻想的な色づかいも雰囲気をつくっていますね。本が置かれているここ、ここだけ日常じゃない。そんな感じ。

このえんとつモクモクの町でどのような物語が繰り広げられるのか、写真を見ながら順に追っていく。

 

あらすじ(途中まで)

 

 ↓本作の主人公。名前はまだない。磁石の心臓を持つ。

ゴミ人間ハロウィン・プぺル

 

心臓配達屋が落とした心臓から誕生した主人公。その心臓は磁力を帯びており、周りのゴミが心臓にどんどん集まってかかしのような体になる。その風貌はまさしく「ゴミ人間」。生まれた汚物は仲間を求めて町に向かう。

 

(心臓が磁石か~。面白いアイデアですね。海外ドラマ『Fringe』のソウルマグネットを思い出しました。西野さんはJ.J.エイブラハム監督に通ずる部分がある!?) 

 

 ↓町はハロウィンのまっただなか

ハロウィン開催中

 

町でジャック・オー・ランタンに出会う。「おかしな恰好をした奴だな~。一緒にやらないか」ということでゴミ人間は妖怪たちと一緒に家々を回っておやつを集めていきました。子供たちには風船をふくらませてプレゼントしながら。

 

 ↓実は人間の仮装だった!

仮装するこどもたち

 

ハロウィンの終わり。仲間だと思っていた妖怪たちは……人間でした。

 

↓正体がバレてしまう

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「あなたもその汚い服脱ぎなよ」と体を引っ張られる。中は人間じゃないことがバレて……。

 

↓ひとりぼっちに

一人ぼっちになった

 

ひとりぼっちになってしまいました。「バケモノがあらわれた」「ニオイがうつる」と。しかしそこに!

 

↓えんとつそうじ屋ルビッチとの邂逅

ルビッチとの出会い

「……ハロウィンの日にあらわれたから、キミのなまえはハロウィン・プぺルだ」

 

本作のキーパーソン、えんとつそうじ屋のルビッチ登場! 顔にススをつけた少年は、同じように汚れを纏っていてどこか懐かしいニオイのするゴミ人間に興味を持ち、プぺルを我が家に連れて行く。プぺルの体を洗ってやったりその口から臭いガスが出るのを面白がったり。二人はどんどん仲良くなっていって。

 

↓ ルビッチがなくしたもの

父親のペンダント

 

出会いの次の日。ルビッチが父親を亡くしていること、遺品の銀のペンダントをドブ川に落としてしまったことをプぺルは知る。ルビッチは父親から「煙の上の星を見た」という話を聞いたという。

 

 ↓あのゴミ人間と付き合うな

いじめ

 

毎日ルビッチが洗っても汚く臭くなるプぺルの体。 子供たちの一人が病気になった、それはプぺルが病原菌を運んできたからだと責められるルビッチ。「あいつともう付き合うな」と。

 

 ↓そしてふたりは…

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「もうキミとは会えないよ。もうキミとはあそばない」

 

「ねえ、ルビッチ。あそびにいこうよ」と誘うプぺル。しかしルビッチはその誘いを拒否してしまいます。「また汚くなってるじゃないか」と。そして二人は会うことをやめます。ルビッチに体を洗ってもらえなくなったプぺルはますます汚くなって誰も近づかず、孤立する(写真だと分かりにくいですが実際の絵は白が綺麗に映えています)。月日は流れて……。

 

 ↓ボロボロになっても会いにきた!

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雪降る静かな夜。おじいちゃんのように杖を突いているプぺル。これほどまでボロボロになりながらも、ルビッチにもう一度会いに来ました。伝えたいことがあるから。一緒にやりたいことがあるから。それは……。

 

 ↓本当の夜を見にいこう!!

夜空へ向かうふたり

ふうふうふう、ふうふうふう。「いそがなきゃ。いそがなきゃ。ぼくの命がとられるまえに」

 

プぺルに導かれ、半信半疑でやってきた砂浜。そこにあった、風船の船。プぺルは大量の風船を膨らませることで船を飛ばそうとします。

 

「その船はこわれているからすすまないよ」

「いくよ、ルビッチ」「ホシをみにいこう」

 

プぺルの命をうばう者とは。船に乗った二人は煙を越えて、本当の夜空を見ることが出来たのか。プぺルは洗っても洗っても次の日には汚れてしまっていた、その理由がプぺルの正体につながっていく。ただ単に星空が広がっていて、めでたしめでたしあ~よかったねと感動する、ではありません! ここから先はみなさんの目でご確認ください。

 

感想

 

↑を書いていて涙が出てきた。ラストのシーンが浮かんできて。物語の最後の真っ黒なページのなかに置かれた一文が。ルビッチの言葉が。忘れられない。

う~ん王道のストーリーに「ゴミ人間」という設定がよくマッチしていますね。嫌われ者が好意を持った(持たれた)人間のために努力する。相手も変わっていく。プぺルとルビッチの交流は『ベイマックス』のあの二人の友情に似ている。ベイマックスに感動した人はえんとつ町のプぺルも感動できると思います。色々なモチーフが重なっているから。でも設定は全く違いますので、『えんとつ町のプぺル』の友情の魅せ方も十分楽しめますよ。

ハロウィンという祭事を物語のステップに選んだのも上手い。ハロウィンにそういう意味合いが本来あったんだな~。その意味の物語へのくみ込み方がスパイスに効いています。勉強にもなりましたし。最後の夜空の彗星も美しいです。絵本というファンタジーで彩られた夜空。プぺルよりもはるかに汚れきった私の魂が浄化されました。

観終わった後は虚無感というか、無力感というか。そんな突き放された感じを受けました。本には近づけないんだけど、本が織りなす宇宙のはしっこには自分がいる感じ。自信を持ってオススメできます。クリエイターの皆さん! ありがとう!!

 

 

ゴーストライター疑惑について西野さんのブログによると

 

↓全文はこちら

lineblog.me

 

えっあれって西野一人で作ってるわけじゃないの。大勢でつくるってそんなんアリ? という意見が出ているそうですね。Amazonのレビューでも「芸能人という強力なコネを使って大金を集めただけ」「金をかけた同人誌」といった手厳しいレビューがなされています(もちろん★1)。じゃあ西野さんはどういっているのか。西野さんのブログからの引用を元に考えていきましょう。

まず、『えんとつ町のプぺル』そのコンセプトについて。

 

今回の作品『えんとつ町のプペル』は、「そもそも、絵本って、なんで一人で作ることになっているのだろう?」という疑問からスタートしました。

 

ここで映画を例に挙げています。映画は大勢の人が集まって皆の努力を経て作られるものだと。なのに何故絵本は一人(もしくはせいぜい二人)で作るものと決められているのか(無意識であれ)。映画は分業制。でも絵本は違うと。面白い着眼点ですね。

 

なぜ、絵本だけは『分業制』がないのだろう?
 一人で作った方が良い作品もあるだろうけど、
 複数人で作った方が良い作品もあるだろうに。

 

この指摘、小説や漫画にも当てはまります。小説はともかく漫画は絵本と重なる部分も多いので、優れた漫画家が集まって一つの作品を作るっていうのも面白いかも。誰も参加しないか。まあ個人的には脚本という役割が一番欠陥を抱えてるんじゃないかと思いますけどね。脚本を一人にやらせる必要性がワシにはわからん。西野さんは「大人数で作るもんじゃない」という固定観念を壊そうとしたんですね。

 

 「魅力的なキャラクターを描くのは苦手だけれも、空を描かしたら誰にも負けない」という絵描きさんはいらっしゃるでしょうし、
 「森を描かしたら私が一番だ!」という絵描きさんもいらっしゃるでしゃう。

ならば、みんなの『得意』を持ち寄って、一つの作品を作ろう!
その為に必要なものは制作費だ!

 

絵本が一人で作らざるを得ないこと、その理由として製作費がかけられないことがあると述べられています。5千部~1万部でヒットとされる絵本市場の小ささ。それが根本の問題なのじゃないかと。リターンがあまり見込めないため制作にお金がかけられないという問題。そこで! 西野さんお得意の例のアレが出てきます。

 

…ということで、去年、「今度は僕一人ではなく、チームで作る!その為に、お金が必要です!」と、分業制で作ることを明言し、クラウドファンディングで支援を募ったところ…

実に3000名以上の方に支援していただき、

1013万1400円

という制作費が集まりました。本当にありがとうございます。

 

すげえ。アメトーークでも演題に挙がったクラウドファンディング、実は多彩な活動をされていたんですね。正直おとぎ町見たときはなんやこれと思っていました。実力はあるのに宣伝等の問題で有名になっていない人。そういう人を発掘するのに最適な手法かもしれませんね、クラウドファンディングは。えんとつ町のプぺルはクラウドファンディングで実を結んだ一例であり、こういう方法もあるという知名度促進の一助にもなる作品です。本作のそんな貢献をすくってあげてもよいのでは。

 

さて、ここまでで『えんとつ町のプぺル』制作を出発させる基盤となった発想や制作経緯がわかりましたね。続いて批判に対して西野さんがどう答えているのか。見ていきましょう。

 

「ええ?何?西野が描いていないの?」

ゴーストライター使ってんじゃん!」

という声が上がりました。
 立ち上げから知っている人からすると、「いやいや、そもそも、そういうコンセプトでスタートさせた企画なんですよ」というところなんだけれど、途中から知っちゃって、流れてきた情報を鵜呑みにしちゃいがちな人からすると、そうなってしまうのも仕方ありません。

 

この文面のなかに批判に対する理解がうかがえますね。誤解されても仕方ないと。……この項書いててずっと思ってたけど、絵本製作におけるゴーストライターってなんぞや? 絵に添える文章のことを言ってるのかな。巻末に絵・文・監督「西野亮廣」となってるけど。

 

最後にスタッフの貢献についてどう思っているのか。かなり長く丁寧に語られています。

 

ご理解いただきたいのが、今回の『えんとつ町のプペル』という作品は、『文=西野亮廣、絵=六七質』と説明できてしまうような分かりやすい作りではなく、作画スタッフが何人もいて、作画の前のイメージコラージュを作るスタッフがいて、キャラクターを担当するスタッフがいて、キャラクターを動かすアニメーターがいて、バランスを整えるマネージャーがいて…全員で一枚一枚仕上げている、ということ。

表に出るとき(テレビなどで紹介されるとき)などは、どうしたって『キングコング西野の最新作!』みたいな紹介になってしまいますが、連日、一緒に汗を流してくれているスタッフには最大限の感謝をしておりまして、これも前々から明言させていただいておりますが、出版社とブックデザイナーさんにお願いして、本編とは別で、2ページだけ余分にいただいて、制作スタッフ全員の名前を載せるエンドクレジットを作ります。

 

また、自身のFacebookでも。題名『僕じゃないよ』。

 

スタッフは絶対に言わないし、でも、すべてが僕の手柄になるのは気持ちが悪いので、僕から言います。

添付したニュースで、お誉めいただいている絵は『えんとつ町のプペル』の1枚で、これは背景担当の六七質さんや、MUGENUPのスタッフの皆さんと、相談しながら作り上げたもので、僕一人で描いた絵ではありません。

 

う~ん長い(ここで挙げたのはほんの一部)。この文章は本気でそう思っていないと書けないですね。浅い想いでは言葉は続かない。西野さんの真面目さがよく出ていますね。また、冷静な書き方ですが文面に込められた気持ちはかなり熱いと感じられました。西野さんにはスタッフ一人一人の姿がちゃんと見えてる。今の時代こんなリーダーええね。

 

批判に対する西野さんの捉え方がクール!

 

そして、事情を知らずに炎上に荷担してしまった方に、それでもお礼を申し上げたいのが、そのことで、結果的に『えんとつ町のプペル』という作品が広まり、作品を知って、作品を予約してくださる方が増えました。

 

批判の中にも良いところを探していこうという意識が見えますね。多分なんにでも長所メリットを見つけようとする人なんでしょうね。↑全般的に今回のゴーストライター騒動(というよりおまえ一人で作ってないやん騒動)に対する西野さんの返答が謙虚だな~と感じます。『えんとつ町のプぺル』よく考えてつくったんだろうな、だから愛着があって自分が何を言われようが作品は批判されたくない、という想いが聞こえてきます(少なくとも私には)。スタッフへの感謝も多分に言及されてますね。

 

まあ結局関わったスタッフがどう思うかでしょう。が、↑の西野さんの考え方を見る限り「俺が作った作品なのに」と憤っている人はいなさそうですが。現実はどんな感じ?

 

 

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↓サインする西野さん

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