“スティーブジョブズが上司”は最悪!?『ピクサー流 創造するちから』
「その世界の一員になりたかった。」
ピクサー・アニメーション・スタジオ共同創設者であり、
ピクサー・アニメーション/ディズニー・アニメーション社長でもある
“エド・キャットムル”が会社経営における人間関係の困難さと
長年接したスティーブ・ジョブズの両面性を語る!
スティーブが立ち去ると、ビルは私の方を向いて言った。
「まったくもって傲慢な男ですね」
その後、うちのブースに戻ってきたスティーブが私のところに来て、ビルの感想を言った。
「まったくもって傲慢な男でしたね」
出典:『ピクサー流 創造するちから』-p.71
↓目次です
- 著者「エド・キャットムル」と「ディズニー」と「コンピュータ・グラフィックス(CG)」
- 優秀な技術者「アルヴィ・レイ・スミス」との出会い
- 『トイ・ストーリー1・2』『バグズ・ライフ』の監督「ジョン・ラセター」が無職だった!?
- 「スティーブ・ジョブズ」登場! するも、その傲慢さが……
『ピクサー流 創造するちから』(エド・キャットムル+エイミー・ワラス著、石原薫訳)についての記事、第二弾です(第一弾はコチラ、ピクサーの「二つのルール」について語っています)。
今回の記事では著者エド・キャットムルのピクサーを立ち上げるまでの多様な経験と、ピクサー倒産の危機から『トイ・ストーリー』の大ヒットに終わる大逆転劇。そしてピクサー創立に関わった重要なメンバー(アルヴィ・レイ・スミスやジョン・ラセター、スティーブ・ジョブズ)の個性や彼らの出会いについて説明しようと思います。
↓今の本の状態。付せんが下から生えとる。
……これ、本棚入れられるのか? 二回目読んだ時に下から貼っていって、「一回目のマークとは違うよ」という意味を持たせようと思った。そして貼り終わった後に気づきました。本棚入れたら付せん折れちゃうねって。
なんか昔の遊戯王カードのカタパルトタートルみたい。付箋が噴出口から出る煙です。表紙が緑なだけ余計に甲羅に見えましたね。もしくは……カニ?
さっそく著者エドがディズニーのアニメーターに憧れ、ピクサー設立までの過程の中で組織マネジメントに段々と興味を惹かれていく様子を紹介しましょう。時系列が少しわかりにくいのでその点も配慮しながら、引用多めで語っていきます。Wikipediaより詳しいよ。
著者「エド・キャットムル」と「ディズニー」と「コンピュータ・グラフィックス(CG)」
一人のアーティストがドナルドダックを描いていた。気取った服を着せ、花束とキャンディーの箱を持たせている。デイジーにプロポーズするためだ。次に、アーティストが鉛筆を走らせると、ドナルドに生命が吹き込まれた。拳を構え、鉛筆の芯と対決し、顎を上げ、蝶ネクタイが結ばれた。
本当に優れたアニメーションとは、画面上のキャラクターが考える能力を持っているように思わせるものだ。
出典:『ピクサー流 創造するちから』-p.26(下線筆者)
ディズニー・アニメーションの優れているところ
ディズニーアニメーション社長が説く優れたアニメの秘訣が↑です(巧みな文章ですね)。優秀なアニメーターはキャラクターの思考を匂わせる絵を描けると。この文章を読んで白黒の映像が浮かんできました。画面はたくさん粒が走っていて愉快なBGMが鳴っているだけ。声がほとんどない映像ですね。ミッキーたちの動きや演出だけで彼らが何を考えているかわかる。昔のディズニーのアニメーションにはそんな「技」が隠れていたんだ。
↑は「ザ・ワンダフル・ワールド・オブ・ディズニー」という番組(ウォルト・ディズニーがTV画面に現れてアニメーションに込めた意図や工夫を説明する)の一幕なのですが、それを毎週観ていたエドはディズニーのアニメーターの「キャラに生命を吹き込む」魔法にすっかり魅了される。
もはや紙に書いた線ではなく、生きた、感情を持った存在だ。私はこれをその晩、初めて体験した。ドナルドがページの中から抜け出てくるのを見た。静的な線画から、完全に多次元的で動的な画像に変貌させたのは手慣れた技にほかならなかったが、何をしてそうなったのか、技法というだけでなく、その技にどのように感情を織り混ぜたのか、私がそれまでに考えた中で最も興味深い問題だった。私はテレビ画面をまたいで、その世界の一員になりたかった。
出典:『ピクサー流 創造するちから』-p.26(下線筆者)
ウォルトのイマジネーション溢れる語りやアニメーターの技術に憧れ、ディズニーと関わる仕事に就きたいと夢を持ちます。「その世界の一員になりたかった」という言葉が幼いエドの想いを的確に表現していますね。
しかし、高校を卒業するころには自分の才能が芸術ではなく科学にあると気づき、親の意向も考慮して物理学者の道へと進みます。そのときの様子が説明されています。
しかし、しばらくして、自分には天下のディズニー・アニメーション集団に加われるような才能がないことに気づいた。それに、どうしたらアニメーターになれるのかもわからなかった。そのための学校も、知る限りなかった。気づけば、高校を卒業するころには、どうしたら科学者になれるかのほうがよっぽどわかっていた。その進路は分かりやすいように思えた。
(省略)
それはその二つがまったく別のもののように思えるからだろう。けれども、美術ではなく物理学の道を選んだことが間接的に私を天職に導いてくれることとなった。
出典:『ピクサー流 創造するちから』-p.30(下線筆者)
「物理学者の道を進む」という選択が、これから待っている波乱万丈で楽しくて大変な人生へとエドを連れていきます。
大学入学からの話しが少しややこしいので、先に簡単なフローチャートを示しておきます(飛ばし読みの参考にしてください)。
ユタ大学の大学院に入学。CG「手のひら」をつくり実力を示す。
↓
NYITの研究所に就職。生涯の友アルヴィに出会う。ここでも様々な技術を開発するが、肝心の映画製作が進まない。
↓
『スターウォーズ』の監督ジョージルーカスの会社に入る。ピクサーの名の由来となるピクサー・イメージ・コンピュータを開発する。ジョンラセターとも出会い、短編アニメーションを製作する。
↓
離婚騒動でジョージルーカスの会社が財政難に陥り、ピクサーがスティーブジョブズに買収される。スティーブとの波乱万丈なビジネスライフが始まる。スティーブの人間性の両面が詳細に語られる(ここまで)。
ユタ大学の開放的な環境と創造性の開花
ユタ大学卒業後、ユタ大学の大学院に進学します。大学の開放的でフラットな環境のおかげでのびのびと研究を進められたエドは、コンピュータの分野で自身の創造性を開花させていきます。
ここの教授や同級生がまたスゴイんだよね。教授のアイヴァン・サザーランドは今流行のVR(バーチャルリアリティ・ヘッドマウントディスプレイシステム)の基礎となるものを開発していますし(当時のモノは重量が大きく天井からアームで固定していた)、同級生にはアドビ(Adobe)を設立したジョン・ワーノックがいます。優秀な人物に囲まれて活発な議論を経験したエドは、ユタ大学の環境について次のように語っている。
個人の創造的貢献と、集団としての力とのせめぎ合いは、クリエイティブな環境にはつきものだが、私にとってはこれが初めての経験となった。個人ですばらしい仕事をする天才がいる対極には、いろいろな考えが集まるからこそ卓越する集団がある。
私は思った。では、この二つの対極をどう両立すべきなのだろうか。まだそれに答えるメンタルモデルはできていなかったが、それを見つけたいと熱望し始めたのがこのころだった。
出典:『ピクサー流 創造するちから』-p.32(下線筆者)
ここで初めて集団をマネジメントすることに興味を持ちます。天才を集団で活かすにはどうすればいいか。そんな疑問を持つわけですね。
このユタ大学に資金提供していたのが国です。アメリカは先に人工衛星を飛ばしたロシアの技術力に焦燥感を覚え、ARPA(高等研究計画局)を設置します。これは各大学をネットワークでつなげて透明性の高い研究を推進しようという趣旨のプロジェクトですが、開放的な環境を促進するような機関でもありました。ARPAから研究費を得てエドは自由に研究を追求します。
当時の研究生活の感触を↓のように語っています。
一九六九年当時、コンピュータで描ける絵は非常に粗く稚拙だったのは言うまでもないが、
新たなアルゴリズムを考え出し、その結果として絵の質が改善されたことを確認できるのは、たまらなくドキドキすることだった。
子どものころの夢が再び蘇ったと言ってもいいかもしれない。
出典:『ピクサー流 創造するちから』-p.33(下線筆者)
大学院で初めて短編アニメーションを作成します。それはコンピューターで「手」を描くこと。当時の技術では曲面を描くことは非常に困難なタスクでした。エドは当時の限界に挑戦し、見事「手のひら」を画面上につくることに成功します。
「手のひら」の研究:手ごたえ、あり。初めてのディズニー訪問:手ごたえ、なし。
実際にエドが作った「手のひら」がこちら↓
滑らかな「手のひら」ですね。角のないきれいな曲線を描いています。この「手」の発表はちょっとした騒ぎになり、実際に長編映画にも使われたそう。エドはCGの発展にどんどん傾倒していきます。
「大学の研究者」と「ディズニーのアニメーター」を交換して新たな場所で勉強させるというサザーランド教授の提案で、エドは憧れのディズニースタジオに初めて向かいます。しかし、当時のCGへの信頼はほとんどなく、ディズニーに全く相手にしてもらえません。
曲面を描くのが難しいとディズニーが困っていることをその機会に知り、コンピューターで曲面を描く研究に没頭します。テクスチャーマッピング(起伏のある物体にイラストを貼り付ける技術)や、マニアな話ですがZバッファ(データに奥行き情報を持たせ、前後関係を表現する技術)もエドが開発したそう。
「創造すること」を体験できた大学での経験についてこう語っています。
クラスメイトたちと同じように、私が挑戦した研究が物になったのは、守られ、異種混合で、非常に挑戦しがいのある環境に身を置いていたからだ。実りある実験の場をつくるためには、多様な考えを持った人材を集め、その自主性を後押しすることが必要なことを学部の指導者たちはわかっていた。
(省略)
物事を創造的に考える人々をどのように導き、刺激するか、私がユタ大学で学んだ最も大切なものは、先生たちが示してくれたそのモデルだった。
出典:『ピクサー流 創造するちから』-p.42(下線筆者)
組織マネジメントの一つの答えをユタ大学で手に入れたんですね。大学での研究にもアニメーション制作にも創造性という共通点がありますから、この自由にやらせる方法は映画作りにも応用できると。そうエドは考えました。
「手」の開発もあって大学を卒業するころは「初のコンピュータ・アニメーション映画をつくる」、という自分の目標がはっきりと見えてきました。しかしながら「コンピュータ技術を映画に応用する」ことへの当時の世間の理解は浅く、どこにいっても渋面を作られます。大学での採用が厳しくなるなか、エドの技術力と「映画を創りたい」という動機に興味を持ってくれる人物がいました。
NYITのアレックス・シュア―
ある日就職活動中のエドのもとに電話がかかってきました。元学長のアレックス・シュアーがコンピューターとアニメーションを融合させる研究所を開く準備をしている。その所長をしないかと。このオファーを受けたエドはNYIT(ニューヨーク工科大学)のオフィスに引っ越します。
このアレックスという人物について、エドは次のように評しています。
自分の能力を勘違いしていたアレックスだったが、先見の明はあった。コンピュータがいつかアニメーションにおいて演じるだろう役割について、信じられないくらい予見しており、そのビジョンを推し進めるために莫大な私財を注ぎ込むつもりでいた。絵に描いた餅と揶揄された手描き芸術とテクノロジーとの融合に対する彼の揺るぎない思い入れは、その後の数多くの革新を可能にした。
アレックスは私を迎え入れると、メンバー集めを私に一任した。そこが彼のすごいところだ。自分が雇った人間を信頼しきっていた。私はこれをすばらしいと思い、のちに自分でも実践しようとした。
出典:『ピクサー流 創造するちから』-p.46(下線筆者)
雇う人間を信頼することが大事だと彼から学んだと述べていますね。実際に自分が信頼される側の立場だったからこそ、信頼の効果を知ったと。個人的にはアレックスに無責任な印象を受けますが(「我々の構想によって時間は短縮され、やがて消し去られるだろう」といった大げさなことをよく言っていたらしい)。エドは彼の無責任さは引き継いでいませんのでご安心ください。アレックスに対して資金を出してくれた必要な存在だったとエドは本書で感謝を表しています。
そんなこんなで自身が所長を務めることとなった研究所の採用面接を開始しますが、そこで生涯の友に出会います。
優秀な技術者「アルヴィ・レイ・スミス」との出会い
テキサス出身、コンピュータ・サイエンスで博士号を取得し、ニューヨーク大学とカリフォルニア大学バークレー校で教鞭を執り、ゼロックスのかの有名なパロアルト研究所(PARC)で働いていたという輝かしい履歴を持つカリスマだ。私は複雑な気持ちでアルヴィに会った。正直、私より彼の方がこの研究所の責任者にふさわしいように思えたからだ。
今でもあのときの落ち着かない気分を覚えている。いつかこの男に仕事を奪われるかもしれないという脅威に、ズキッと痛みが走った。それでも構わず彼を雇った。
出典:『ピクサー流 創造するちから』-p.46(下線筆者)
アルヴィ・レイ・スミス(彼のHPがオシャレ→Alvy Ray Smith Homepage、Biographyのページにダンディなおじさんが映ってます。熟練の俳優みたい)との面接で↑のような恐怖を感じたとエドは述べています。CGで「手」を開発するほど実力のあるエドにそう言わせるほどの人物。そんな優秀なアルヴィを「自分より先に上に行くのではないか」と不安を感じながらも雇いました。その結果、アルヴィは最も親しい友人になった。エドは当時を振り返り、不安はあったけど雇ってよかったと述べています。
アルヴィ以外にも優秀な仲間を揃え、原画と原画の間の絵を描く「トゥイーン」や、わざと映像にブレを加えることでキャラクターが動いていると錯覚させる「モーションブラー」を開発します。
NYITで多くの技術革新を生み出すことが出来たもののアニメーション製作においては限界も感じていました。ここにはストーリーテラー(ストーリーを語れる人)がいないと。そのため、自分たちの技術力を実際の映画製作に使ってくれる人や会社を探し始め、『スターウォーズ』のジョージ・ルーカス監督と出会います。
『スター・ウォーズ』のルーカスフィルムに入社! 「ピクサー」の由来とは?
豊かな土地に向かう長い旅の道中、開拓者たちは目的意識にあふれ、目指す地にたどり着くのだという目標で一致団結している。たどり着いてしまえば去る者も来る者も出てくる、そういうものだ、と。
が、まだたどり着いていない何かに向かう過程こそが彼の理想だった。
出典:『ピクサー流 創造するちから』-p.58
『スター・ウォーズ』が大ヒットして大金を手にしたジョージ・ルーカス監督は、特殊効果やビデオ編集用のソフトウェアを開発するため、コンピュータ部門を設立します。その責任者としてNYITのエドを訪ね、面接を経て正式に採用することとなりました。エドはアルヴィとともにコンピュータ部門が新設されるサンアンセルモに移住します。ジョージ・ルーカスの人物像については↑のように人生を比喩に例えるのが得意な人だと語られていました。
新しい居住地となったルーカスフィルムで、アニメーションよりも実写映画へのコンピュータ技術の応用に重点を置いた研究が始まります。そこで開発されたものの中の一つにピクサー・イメージ・コンピュータと名付けられた装置があります。フィルムをスキャンして取り入れた二つの画像を重ね合わせ、それをフィルムにまた書き込んでいく装置。これが「ピクサー」の由来だったんですね。映画を創るという意味の造語「Pixer」とハイテクなイメージを匂わせる「Radar」(レーダー)を合わせて「Pixar」と名付けたそう。
しかし、せっかく開発した装置を使ってもらえないという事態が起こります。
変化を嫌う人間たち、あなたならどうする?
ピクサー・イメージ・コンピュータを開発したはいいものの、実際に使う立場にあるフィルム編集者たちから猛反発を喰らいます。エドは「会社の人間関係」というこれまでにない困難に遭遇します。開放的な大学とは違う閉鎖的で階層的な管理社会に疲弊していく様子が具体的に語られている。
ジョージは新しいビデオ編集システムの導入を望んでいたが、フィルム編集者たちは違った。(省略)慣れ親しんだ方法を楽だと思い、変化を苦と見なしていた。はたして、できあがったシステムを試す段になった時、編集者たちは関わるのを拒否した。工程が飛躍的に改善されると我々がいくら自信を持って進めても関知せず、ジョージの後押しも無駄だった。新しいシステムが役に立つはずの相手から反発を受けたことで、開発に急ブレーキがかかった。
どうするべきか。
(省略)
言うまでもなく、マネジャーは優れたアイデアを持っているだけではだめだ。そのアイデアを取り入れる人たちからの支持が得られなければ。私はこの教訓を胸に刻んだ。
ルーカスフィルムで働いていた間、私はマネジャーとして重圧を感じる時期が確実に何度かあった。自分の能力に疑問がわき、もっとアルファオス(群れのボス)のように力づくのマネジメントスタイルをとってみるべきなのか、自問した時期だ。
(省略)
サラブレッドは数頭だけで、完全な野生の暴れ馬がいたり、ついてくるのがやっとのポニーがいたりする、そんな群れだ。舵取りどころか、つかまっているのが精一杯だった。
出典:『ピクサー流 創造するちから』-p.56(下線筆者)
この障害、どのように乗り越えたんだろう? そのあたりは書かれてなかったな~(私が読んだ限りでは)。苦しい状況下で「これでいいんだろうか」といろいろ迷っていたエドでしたが、嬉しい出来事も起こります。ジョン・ラセターとの初対面というね。
(出典:ジョン・ラセター - Wikipedia)
『トイ・ストーリー1・2』『バグズ・ライフ』の監督「ジョン・ラセター」が無職だった!?
映画のタイトルは『アンドレとウォーリーB.の冒険』に改められ、森の中で仰向けに寝ていたアンドレが目覚めると、目の前をウォーリーがブンブン飛び回っているシーンで始まる。慌てて飛び起きたアンドレは逃げ回るが、ウォーリーがぴったり後ろについて離れない。それだけのあらすじだ。あらすじと呼べるならば。正直言って、我々にとってはストーリーよりもコンピュータで何が描けるかを見せることのほうが重要だった。ジョンのすごいところは、たったこれだけの簡潔な構成の中にも、緊張感を生み出せることだった。
出典:『ピクサー流 創造するちから』-p.63(下線筆者)
『スター・ウォーズ』後有名になったジョージルーカスのもとに、「今度はどんな特殊効果を研究しているんだろう」と多くの人がやって来るようになりました。集まった人たちに対して“画面上に背景を描くソフトウェア”をエドが披露していたとき、ジョン・ラセターがやってきます。これが初対面。ジョンは自分の創りたいアニメーションにこのソフトが使えそうだと興味を持ちます。
それから数か月後、偶然にも船上で再会し、ジョンが失業中であることを知ります。それなら是非ということでジョンをルーカスフィルムに誘い、短編アニメーション『アンドレとウォーリーB.の冒険』を一緒に製作することになります。ジョンはなぜ失業中だったのか、それにはディズニーの暗黒期が関係しています。
意外と知らないディズニーの暗黒時代
山小屋に捨てられたトースターやランプたちが主人を探しに町に降りる『勇ましいちびのトースター』をジョンは企画していましたが、内容が前衛的すぎるという理由でディズニーは彼を解雇します(彼の話を聞いて速攻解雇したらしい)。ディズニーの上層部はジョンの才能に恐怖を覚えたのかも。創造性豊かなジョンを解雇するほど駄目駄目だったディズニーの暗黒時代について、エドは↓のように語っています。
しかしジョンは、ディズニー・アニメーションが冴えない休刊期に突入していたことに気づかずにスタジオに入社した。(省略)ジョンが入社した一九七九年には、フランク・トーマスやオリー・ジョンストンをはじめとするナイン・オールドメンは年齢が行き(一番若くて六十五歳)、映画製作の現場からすでに引退しており、長年後継者として後ろに控えていた格下のアーティストグループの手にスタジオを委ねていた。
彼らはやっと出番が回ってきたという気持ちが強く、そのわりに社内での立場に不安を覚えるあまり、才能ある若手を育てるのではなく、抑えつけることでその地位にしがみついていた。ひよっこアニメーターたちのアイデアに興味を示さなかったばかりか、懲罰的な力を行使した。自分より下の社員が自分より早く出世することを何としても阻止しようと心に決めていたようだ。
出典:『ピクサー流 創造するちから』-p.62(下線筆者)
(ナイン・オールドメンとは1930年代のディズニースタジオに在籍していた9人の伝説のアニメーターのこと。詳しくはナイン・オールドメン - Wikipedia)
う~んディズニーにもこんな上役連中がいたのですね。才能ある若者は潰してしまおう。そんな環境では当然優秀なアニメーターがディズニーから離れていったそうです。最後の頼みの綱でもあったジョンも自ら切ってしまった。だからこそプレイヤーとしても優秀で人格も優れたエドが、ピクサースタジオだけでなくディズニー・アニメーションの社長を務めることにもなったのでしょう(と個人的には思っています)。
ここからジョンラセターとアニメーションを創っていくことになるのですが、彼の才能はエドやアルヴィを魅了していきます。
ジョンラセター賞賛されすぎ問題
ジョンは感情をあらわにする男で、人の長所や能力を最大限に引き出す才能があった。
そのエネルギッシュさが映画に活力を与えることが期待された。
出典:『ピクサー流 創造するちから』-p.62(下線筆者)
『アンドレとウォーリーB.の冒険』製作でエドが感じたジョンの凄さが↑にあります。ジョンには人の才能を引き出す天性があるとはよく聞きますね。アルヴィも感嘆の声を漏らしています。
「浅はかにも自分がアニメーターを務めるつもりだったが、正直、その魔法の力はなかった。キャラクターに動きを与えることは得意だが、考えさせたり感情を持たせたり、意識させる力はない。それができるのがジョンだ」
出典:『ピクサー流 創造するちから』-p.62(下線筆者)
「キャラクターに生命を吹き込む」。まさしくエドが憧れたディズニーの魔法ですね。ジョンにはそれができたと。キャラクターの意識や感情を表現できることが、短いアニメーションにも緊張感を持たせられる理由でしょうか(ジョン・ラセターの項で最初に引用した文章に記載がありましたね)。
少し先の話ですが、『トイ・ストーリー』についてのディズニーとの話し合いでもジョンへの称賛が前面に出てきます。
ディズニーのモーションピクチャー部門の責任者は、求愛モードにあった。(省略)ジョンとスティーブと私を前にして「ほしい才能は、なんといってもジョン・ラセターだ」と彼は言い、我々は気分を害さないように気をつけた。「ジョンが戻りたくないと言うのなら、この方法をとるしかなさそうだ」
カッツェンバーグは、ピクサーに長編映画をつくらせ、ディスニーのものとして配給したいと言った。
出典:『ピクサー流 創造するちから』-p.86(下線筆者)
こんなふうに称賛される人間になりたいですね。
ただ、ルーカスフィルムに居た頃はその才能を表現できる場がほとんどありませんでした。そして更なる困難が降りかかります。ジョージ・ルーカスが離婚で莫大な慰謝料を払うことになり、ピクサーを売らざるを得なくなります。
ピクサー売却の緊張感
しかし、ピクサーの売却は複雑な様相を呈し、興味を持った会社とも最終的な契約締結には至りません。その時のピリピリした様子が語られています。
あるとき、部屋に呼ばれていくと、椅子に座らされ、部門が買収されるまでの間、コストカットのために社員を一時解雇すべきだと告げられた。買収後に再雇用を相談すればいい、と。我々がこの提案を気に入らなかった理由は、精神的ダメージが確実に生じるだけでなく、ここに集めた人材こそが、我々の本当の「売り」だったからだ。
(省略)
そのため、考え方が瓜二つの絶対君主たちに、レイオフ対象者のリストアップを命じられた私とアルヴィは、二人の名前を提示した。
つまり私と彼だ。
出典:『ピクサー流 創造するちから』-p.66(下線筆者)
ここに集めた人材が売りって言えるのがすごい。このように上からプレッシャーをかけ続けられたエドの心労は僕には想像できない。
そんなピンチのなか大学の友人の計らいでスティーブジョブズ↓に出会い、買収話をすることになるが……。
「スティーブ・ジョブズ」登場! するも、その傲慢さが……
その毅然とした態度を覚えている。無駄話は一切なし。あるのは質問だけだった――おびただしい数の。何を求めているのか、何を目指しているのか、長期的な目標は何なのか。彼は、自分の信念を「めちゃくちゃすごい製品(insanely great products)」という言葉で表現した。彼は明らかにプレゼンテーションを受けるタイプではなく、すぐさま取引について話し始めた。
出典:『ピクサー流 創造するちから』-p.68(下線筆者)
ピクサーを売却するため初めてジョブズに会った時の様子が↑。当時ジョブズはアップルの取り締まりでした。話し合いが進みますが(というかジョブズが一方的にまくしたてるだけですが)契約締結には至りません。その後ジョブズのクーデター騒動もあり連絡が途絶えますが、二度目の連絡がジョブズから来ます。このときも会社の方向性に相違があり(ジョブズは家庭用のコンピュータを作りたかった)、買収話はご破算になりました。
三度目の正直
ジョブズはその後コンピュータ会社『NeXT』を設立します。それで余裕が生まれたのでしょうか、ジョブズとのピクサー買収話はスムーズに進みます。エドのコンピュータ・グラフィックス(CG)を追求したいという想いもジョブズは受け入れました。
↓はサンフランシスコで開催されたシーグラフ会議でのジョブズとビル・ジョイの一幕。ピクサー買収話の間でこんな愉快な一悶着(?)がありました。
話を続けるうちに、サン・マイクロシステムズの創業者の一人、ビル・ジョイに行き会った。ビルは、スティーブと同じように並はずれて頭がよく、勝ち気で、自分の意見をはっきり言う頑固者だ。二人がこの時どんな立ち話をしたのかは覚えていないが、その話し方は今でも覚えている。
両腕を後ろ手に組み、鼻を突き合わせるようにして立ち、完全にシンクロして左右に体を揺らしていた。周りで起こっていることにまったく気づかない様子だった。その状態がかなり長い間続いたが、ようやくスティーブがほかの誰かと会うために話を切り上げた。
スティーブが立ち去ると、ビルは私の方を向いて言った。
「まったくもって傲慢な男ですね」
その後、うちのブースに戻ってきたスティーブが私のところに来て、ビルの感想を言った。
「まったくもって傲慢な男でしたね」
出典:『ピクサー流 創造するちから』-p.71(下線筆者)
落語かな? 結局ジョブズに買収され、今後ピクサーは彼とともに歩むこととなります。ここから赤字続けで切り捨てられたピクサーのエドとアルヴィ、ディズニーを解雇されたジョン、Appleを追い出されたジョブズの四人の逆転劇が始まります。『トイ・ストーリー』の大ヒットでね。
その間ジョブズの会議の様子をたびたび目にし、『トイ・ストーリー』公開前に赤字を出し続けていたピクサーの二度目の売却話もあって、ジョブズの負の面がエドの前で頻繁に現れます。エドが感じたジョブズの傲慢さについて語られている内容を紹介しましょう。
ジョブズの傲慢さ、人を試す態度
下は二回目のピクサー買収話のとき。ジョブズはエドに会社を譲れとズケズケ言う。
スティーブの横暴な性格は、人をたじろがせる。
途中、彼は私のほうを向き、私の仕事を自分に譲れと涼しい顔で言った。自分がその地位に就いて舵取りをすれば、私は彼から多くを学び、二年もすれば一人で事業を運営できるようになる、と言った。
(省略)
その厚かましさに驚いた。私を経営から外そうとしただけでなく、私がそのアイデアを気に入ると思っていたのだから!
出典:『ピクサー流 創造するちから』-p.69(下線筆者)
自分の方が能力が上だと判断したんでしょうね。これはアップルからマッキントッシュ部門の責任者を外され、あまり余裕のない状況だったのも影響していると想像できます。
また、会話での人を試すような態度についても言及しています。
このときも質問攻めだった。ピクサー・イメージ・コンピュータにできて他のマシンにできないことは何か、誰が使うことを想定しているのか、どのような長期計画を持っているのか。我々の技術の価値を把握しようという意図は見られず、我々を相手にスパーリングすることでじぶんの論点を磨くことばかり考えていたようだ。
出典:『ピクサー流 創造するちから』-p.69(下線筆者)
これも二回目の買収話の時。ジョブズは最初から自分の答えを持っている人なのでしょう。自分の意見を相手にぶつけることで考えをより深めていこうと(相手の返答は関係なく)。他の人は他の人で別の興味に思考を費やしていることに気づいてなかったのかなと思いました。↓もジョブズの人を「人格のない物」と見るような性格を示しています。
しかし、そうした見方(=全国展開に向けた戦略)にはおまけがついてきた。人との接し方が独特なのだ。苛立ち、無愛想になることがよくあった。
(省略)
彼は若く、意欲にあふれ、自分が周囲に与える影響にまだ気づいていなかった。最初の数年間は、「普通の人」を理解しようとしなかった。つまり、企業経営者ではない人や、自分に自信のない人だ。会議で出席者を見定める彼独自のやり方があり、それは、「こんなチャートはあてにならない!」とか「クソみたいな取引だ!」などと乱暴で決定的な発言をし、相手の反応を見るというものだった。反論する勇気のある相手は、一目置かれることがある。スティーブに小突かれ、そして覚えてもらえる。それが人の考え方やそれを押し通す覚悟があるかどうかを見極める彼なりのやり方だった。
出典:『ピクサー流 創造するちから』-p.76(下線筆者)
乱暴な言葉で相手の意志を試すと。日本のブラック企業でもいそうですね。正論(?)で追い詰める上司。ジョブズのこういうところを真似されると嫌だな。赤字続きのピクサーを売却しようという話になった時の様子もなかなかです。
マイクロソフトが九〇〇〇万ドルで買収を申し出たときも、うんと言わなかった。一億二〇〇〇万ドル要求していた彼は、その申し出が侮辱的であるばかりか、同社が自分たちにふさわしくない証拠だと考えた。
(省略)
スティーブは必ず最初に高値を提示し、そこから下げようとしなかった。
そのうち私は彼が本当に欲していたのは出口戦略よりも外部の評価ではないかと考えるようになった。彼の理屈はこうだ。マイクロソフトが九〇〇〇万ドル出すつもりがあるのだから、手放すのはもったいない。そんな芝居は見ていて辛く、気力を奪われた。
出典:『ピクサー流 創造するちから』-p.84(下線筆者)
現実離れした無理難題を押し付けられたり、ジョブズの人を試したり侮辱したりする態度に気力が奪われていったとエドは語っています。しかし、苦労の多い交流の中でスティーブ・ジョブズという人物との正しい付き合い方にエドは気づきました。
スティーブジョブズとの正しい付き合い方とは!?
そんな苦労をしたエドですが、ジョブズとの付き合い方について次のようにまとめています。
そこで一週間かけて考えをまとめ、再び説明する。そこでまた却下されることもあるが、めげずにこれを繰り返すと、次の三つのうちのどれかが起こった。
① 彼が「なるほど、わかった」と言って要望に応えてくれる。
② 私が彼の言い分の正しいのを認め、働きかけをやめる
③ いくら話しても結論に達しないので、私が最初に提案したことを構わず進める。
どのケースも同じくらいの頻度で起こったが、三つ目のケースになってもとがめられたことはない。自己主張が激しい反面、情熱を尊重する人だった。私がそこまで信念を持っていることなら、あながちまちがいではないと感じてくれていたようだ。
出典:『ピクサー流 創造するちから』-p.86(下線筆者)
こういう人物には否定されても何度でも喰らいつくのが大切だと。なかなかできないやり方ですけどね。ジョブズと同じくらいエドも仕事に対する情熱を持っていたからこそ(精神的には)対等にやりあうことができたんじゃないかと思います。
こんなふうに7:3(8:2?)くらいの割合でジョブズの負の部分に言及しています。巷に出回っているような伝聞本(なんちゃら語録)ではなくて実際に長く付き合ってきた関係の人が書いているだけに、本に帯びるリアリティーが強い。ジョブズに対する愛憎のオーラが、雨の日に滲む街灯のように本から広がって見えますね。「売却か、閉鎖か、スティーブ・ジョブズか」という見出しもありました(笑)。前の二つの言葉と同じくらいスティーブジョブズが嫌だったんですね。
では7:3の3の部分を見ていきましょう。ジョブズの凄さがわかります。
日本人には真似できないジョブズの交渉の現場
↓はまだルーカスフィルムの支配下であったピクサーをジョブズが買収する場面。偉そうな大物を軽くあしらうジョブズの手腕が語られています。
ルーカスフィルム側の公証人があまり優秀でなかったことから、買収は混乱した。とくにCFO(最高財務責任者)は、スティーブを、よくいる背伸びした金持ちの若造と甘く見ていた。このCFOは、交渉の席で優位に立つにはその部屋に最後に現れることだと言い、出席者全員を待たせられる人間は自分しかいないのだから、自分こそが「最強のプレイヤー」なのだと、公然と私に言い放った。
(省略)
午前一〇時きっかりに、スティーブは部屋を見渡し、CFOがいないのに気づいたがそのまま会議を始めてしまった! スティーブは素早い動き一つで、序列の頂点に立とうとしたCFOの企みをくじいたばかりでなく、会議そのものを掌握した。このような戦略的・野心的な立ち回りが、ピクサーの投資家としてのスティーブの責任の全うのしかたを象徴することになる。
仲間になるや、スティーブは我々の庇護者として、わが身のことのように一途に守ってくれた。
出典:『ピクサー流 創造するちから』-p.72(下線筆者)
こんな有能な人見たことないよ。さすがの小池都知事でも無理でしょうね。日本という国でやれる人がいるとは思えない。また、自分の会社の強みもよく理解されていて、的確に強気に出る場面もあります(強く出るべきところをよく見抜いている)。
ディズニーとの取引を成立させるということは、カッツェンバーグと合意することを意味した。彼はしたたかで手強い交渉相手として悪名高かった。ここではスティーブが主導権を握り、ピクサー初の映画作品に出資するディズニーが、ピクサーの技術も所有する権利があるとするジェフリーの論法を退けた。
「そのお金はあくまで映画の製作費であって、企業秘密の譲渡費用ではありません」。
ディズニーは交渉のテーブルにマーケティング力と配給力を持ち込み、我々が持ち込んだのは技術革新だった。そしてそれは売り物ではなかった。スティーブはこれを交渉決裂の切り札にして頑として曲げず、結局ジェフリーが同意した。一か八かのときには、スティーブは一段上のプレーを見せてくれる。
出典:『ピクサー流 創造するちから』-p.88(下線筆者)
何が売り物で何を渡してはいけないか。ジョブズの交渉の姿勢や巧みさが迫ってくるような具体性ですね。実際に会議の壇に立つスティーブ・ジョブズの姿が想像できるようです。交渉の上手さだけでなく、ポケットマネーをポンと出す器量の良さや先の見据え方の卓越性も語られています。
5400万ドルものポケットマネー
ピクサーの事業が最も落ち込んだとき、つまり必死でもがいても利益を出せなかったとき、スティーブは五四〇〇万ドルもの資金を自分のポケットから会社に注ぎ込んでくれた。
出典:『ピクサー流 創造するちから』-p.83(下線筆者)
ピクサーが新しいことをやるたびに赤字が膨れ上がっていたとき。先も見えず赤字を出し続けるピクサーに5400万ドルもの資金を提供してくれたジョブズに、エドは感謝していると述べています。腹立たしいことも多かったけど助けてくれたこともちゃんとあったと。この赤字は『トイストーリー』の大ヒットで見事利益に変わる(大逆転!)のですが、その時もジョブズの優秀さが光ります。
『トイストーリー』公開に向けてジョブズの描いたストーリーが見事
彼が語った理屈はこうだ。
『トイ・ストーリー』がヒットしたとする。それどころか大ヒットしたとする。そうなったとき、ディズニーのマイケル・アイズナーCEOは恐るべき魔物をつくってしまったことに気づく。つまり、ディズニーに対抗し得るライバルだ(ディズニーには契約上あと二作品の借りがあるだけで、その後は自由の身だ)。
『トイ・ストーリー』が公開されるや否やアイズナーは契約の見直しを求め、パートナーとしてピクサーを手元に置こうとするだろう。ならばもっと有利な条件で交渉したい。具体的には、興行収入をディズニーときっちり折半したい。それは道義的な要求でもある。だが、このような条件を出すには、我々自身で制作予算の半分を用意できなければならない。その大金を手に入れるためには新規株式公開(IPO)しかない。
結局、今回もその理屈が勝った。
出典:『ピクサー流 創造するちから』-p.92(下線筆者)
『トイストーリー』が大ヒットすると見抜いたジョブズは、株を公開するという行動に出ます。売れるものを見抜き、その利益を最大限に追求する。ジョブズのビジネスに対するスタンスが凝縮されていますね。実際ジョブズの千里眼どおりにディズニーとの交渉が進んでいきます。ちゃんと利益が折半されることになりますよ。すごいね。
結局エドが↓で語っていることがすべてなのかな。ジョブズといると「自分が想像していなかったところに連れていかれる(いってくれる)」と。
が、彼と会話していると、自分が想像していなかったところに連れていかれる。人に自己防衛を強いるだけでなく、人を引きつける力があった。
私はそれ自体に価値があると考えるようになった。
出典:『ピクサー流 創造するちから』-p.69
スティーブ・ジョブズには「人を助けてくれる」面も「人を困らせる」面も両方あるということなんでしょうね。両方ともに強い個性を持っている。2011年のジョブズ逝去を受けて、エドはピクサーの本社ビルを「THE・スティーブ・ジョブズ・ビルディング」と改名して彼に対するリスペクトを示します。こんな友情はめったにないね。ジョブズがいなければ今のピクサーはない、と。
ふぅ~、お腹いっぱい。これだけしゃべってまだ第一部ですからね(あと300pほど残ってる)。ほんと濃い。読み終わった後は(読み終わってないけど)、映画を観終わったような心地よい疲労感がありましたね。顔が汗をかいてた。
次の項は「新しいものを守る」。“創る”ではなくて“守る”というのが面白いね。ピクサーにとって新しいものを創るというのは当たり前のことで、社員もそれをわかっているからわざわざ唱える必要はないと。その一歩先を進んでいる。
終章は「私の知っているスティーブ」。そこまでたどり着ける気がしない……。
↓Amazonでの購入はコチラ
ピクサー流 創造するちから―小さな可能性から、大きな価値を生み出す方法
- 作者: エド・キャットムル著,エイミー・ワラス著,石原薫訳
- 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
- 発売日: 2014/10/03
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- この商品を含むブログ (11件) を見る
アンドレとウォーリーB.の冒険(The Adventures Of Andre & Wally B.)が収録された『ピクサー・ショート・フィルム & ピクサー・ストーリー 完全保存版』↓
ピクサー・ショート・フィルム&ピクサー・ストーリー 完全保存版 [DVD]
- 出版社/メーカー: ウォルト・ディズニー・ジャパン株式会社
- 発売日: 2008/11/07
- メディア: DVD
- 購入: 2人 クリック: 36回
- この商品を含むブログ (14件) を見る
ピクサー短編アニメーション作品の中から、アカデミー賞(R)受賞3作品とノミネーション5作品を含む計13作品を一挙収録!(2016/11/4の時点ではBlu-rayとDVDの値段は同じ)