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良いもんつたえ隊 【映画でじぶんを変えてゆこう】

映画を中心に、漫画や小説など面白い作品を紹介していきます!!

『自分の小さな箱から脱出する方法』購入! ありのままに「なる」のではなく「見る」のが大切

自分の小さな「箱」から脱出する方法

自分の要求を絶対視するのをやめて、自分と周りをありのままに見てみよう。

自己犠牲、自己正当化、そしてコミュニケーションにおける不安の肥大化

人間関係のさまざまな問題を紐解いていくサマが見事!

緑の表紙がめじるしです!!

 

『自分の小さな「箱」から脱出する方法』(アービンジャー・インスティチュート著、富永星訳)購入しました! 自己啓発本は結構読んできましたが、本書ほど具体性個性もある本はなかなか思いつきません(しいて挙げるなら『夢をかなえるゾウ』かな)。本書を読んでたった一つのことに気づくだけで人間関係のつらさ苦しさから解放されます。「この本を読んでいれば、あのとき……」と後悔しましたし、もっと早く本書の存在を知りたかった。読後はそんな後悔もありました。

今回いろいろな内容を紹介しようと考えていますが、とくに「ニーズの重さはみんな同じ」という考え。飛行機のたとえ話は非常に示唆に富んでいます。その項だけ読んでみても人間関係の捉え方が大きく変化しますよ。

 

本書は、ラーメン屋で見るような鉄則を一ページに一つずつ、ルフィの登場シーンのようにドーンと書いてあって。その一行哲学の数の多さで興味をそそる……ような本ではありません。一つ一つのシチュエーションにおける会話や態度の内容を突っこんで批評し、深く掘り下げていく内容になっています。

第一部から第三部まであります(268ページほど)が、それぞれの内容は非常にシンプルにまとめられます↓。

 

「ありのままに他人を見つめよう」:『箱』という比喩を用いながら、職場を侵している病原菌(癌になる人間やその周りが大切に抱いている自己中心性=被害者意識)の正体を明らかにしていく第一部。「箱の中に入って」いる状態とは? たくさん本を読んでもコミュニケーションが改善されない理由は? 「自己犠牲という自己中心的な思考体系をやめれば見えてくるものがある」「全員のニーズの重さは同じ」と説く項が心に刺さる前半戦。

 

「心の底から目標を追求しよう」:日常からビジネスの領域に話を拡げ、業績を上げるという目標の根底にある欺瞞を追求する第二部。業績向上を妨げる『自己正当化』という心理とは? その心理に陥ってしまうシチュエーションや考え方は? 「自己正当化に時間と労力を費やしているとき、それはやるべきことをやっていないときだ」と鋭い指摘を納得させる後半戦。

 

「他人への抵抗をやめ、人間関係の努力が軽くなるよう自分の意識を変化させよう」:一部二部の話を踏まえ、他人に振り回されず「どうすればより良き人生を実現できるのか」を示してくれる第三部。本書のコミュニケーション哲学は努力を必要としていません。行動よりも意識。他人に対する意識を変えるだけ。それだけでコミュニケーションの問題を相対化でき、解消していく内容が素晴らしい本書のラストスパート

 

この記事では第一部「『箱』という名の自己欺瞞の世界」の内容を紹介します。まず、二人の主要な登場人物の紹介から入っていきましょう。

 

↓目次です

 

君には問題がある

 

自分が一番努力してきたつもりだ

 

かねてから執着していたザグラム社についに転職することができた主人公トム。数々の業績を残している伝説のザグラム社のトップ・バド。この二人が織りなす対話(作中では『バドのミーティング』と呼ばれている)という形で本書の哲学が掘り下げられていきます。「箱」とは何なのか? コミュニケーションがどのように改善されていくのか? 一体全体ぼくらが抱えている問題って? こういった事柄が徐々に明らかになっていきますよ。

 

バドは以下のような人物。

 

ザグラム社そのものと同じように、神秘的なのにオープンで、何かにとりつかれたような馬力の持ち主なのに人情味にあふれていて、洗練されていながら現実感覚を失わない人物。どこか不思議な存在であっても、会社の誰もがバドに賞賛を惜しまなかった。

p.12

 

そんな憧れのバドにこれから会うこととなった主人公トムは、自身の品格について↓のように想像していました。

 

常に誰よりも早く出社して、一番遅くまで残業していた。

仕事には十分集中できていたし、目標はちゃんと達成してきた。

妻にはよく文句をいわれるが、今後昇進のチャンスがあったときにライバルになりそうな同僚よりよい仕事をし、他に抜きんでようと努めてきた。

恥じるようなことは何一つしていない。

p.12

 

自分は誰よりも努力してきた人間だと。それは新しい職場でも同じ。この中で一番努力しているのは自分以外にありえない。部下よりも私の方が優れているし、彼らを公平に扱っている私は良い上司だ。そう考えていたわけですね。これは本書を読む前の僕の姿でもあります。つまり、トム=読者という想定がある。

そんな真面目とも傲慢ともとれるトムに対し、バドは厳しい指摘を下します。

 

「今日来てもらったのは、理由があってのことなんだ。重大な理由だ」

「はい」

わたしは、内心の不安を隠そうと、努めて平静な口調をよそおった。

君には問題がある。当社で成功したいのなら、その問題を解決しなくてはならない」

p.13(下線筆者)

 

 

無能な人間たちと我慢してつきあっている?

 

突然「あなたに問題がある」と言われ、トムは慌てます。そんなハズはない、まさか、自分に限って……。自分を正当化しようとするトムにバドは厳しい質問を始めます。

 

「周りの人たちをひどくとっちめたり軽蔑したり、のらくらぶりや無能さをさげすんだりしたことはないだろうか」

(省略)

「あるいは、人を丸めこもうとしたことは、ないかな?」

バドは続けた。

部下たちに耳ざわりのいいことやおためごかしをいって、心の中では軽蔑しながら、自分の望み通りにさせようとしたりは、していないか?

これはこたえた。

「部下を公正に扱うよう、懸命に努力しているつもりですが」

「きっと、そうに違いないと思う。だが、ここで一つ聞いておきたい。

『部下を公正に扱っている』とき、君自身はどんなふうに感じているんだろう?

軽蔑したり手荒く扱っているときと、どこか違いがあるんだろうか?

心の奥底の何かが違っていると、いえるだろうか」

(省略)

「つまりこういうことだ。君は周りの人のことを、『我慢』しなくてはならない存在だと思ってはいないだろうか

正直いって、こんな部下にまとわりつかれていたのでは、そうとう頑張らないと、管理職としての成功はおぼつかない、と感じているんじゃないか」

p.18-19(下線筆者)

 

本質をついた質問ですね。部下や上司に普段いい顔をしていても、その裏側には軽蔑が潜んではいないか。これで俺は楽になる、これで俺の状況は改善する。相手の事を考えているように見せながら実は自分の事ばかり考えている……なんてことはないと言い切れるか。

自分が一番物事を考えている。周りは軽薄な人間ばかりだ。そんな傲慢さを持ってはいないかとバドは問うています。このバドの質問に対し、トムは……。

 

「ええ、その通りです。部下には無能なのらくら者が多いと感じています。

でも、だからどうしろというんです? 直接そんなことをいってみても、何の役にも立たないでしょう? だから違うやり方で、部下を動かそうとしているんです。まるめ込みもするし、誘導したり、時には計略を巡らしたり。それに、常に笑顔でいるよう心がけています。正直、自分の振る舞いについては、誇りに思っています」

(省略)

「部下を公正に扱うことの、どこが間違っているというんです」

君はそもそも、部下を公正に扱っていない。そこが問題なんだ。

それに君は、自覚しているよりずっと大きなダメージを、会社に与えている」

p.19-20(下線筆者)

 

バドの言う「部下を公正に扱っていない」とはどういうことなのか。トムは何を勘違いしているのか。

 

「自分にどんな問題点があるのか理解できるよう、君に力を貸すことができると思う。

それに、どうすればその問題を解決できるのかを、学ぶ手助けもね。だからこそ、ここに来てもらったんだ。」

p.20

 

ここから『バドのミーティング』が加速していきます。最初の話題は「自己犠牲の精神についてくる自己中心性」について。

 

 

「俺だけが」「私だけが」「俺だけが」……自己犠牲精神は周りからどう見られるか

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他人をどう捉えるかが本書における一番大切な論点です。が、その話の前にまず、他人というドーナツの身の部分の内側にある「自分」という空洞にどれだけ囚われてしまっているか。その自己中心性の姿を明らかにしていきましょう。いかに自分という存在に固執してしまっているか。いかにその事実に気づいていないか。不満の背後に潜んでいる孤独な心理を暴きます。

 

居場所がわからなくて苦労するよ

 

↓はバドの失敗経験。彼は複数の国にまたがる大規模なプロジェクトでの融資契約作成において、それをまとめる弁護士として役割を果たそうと必死に努力していました。が、……。

 

わたしが作成していた文書に大きな影響を及ぼす交渉ごとは、すべて二五階で行われていた。当然、これらの交渉ごとは、わたしにとっても非常に重要な意味を持っていた。どんなに些細な変更も、作成中のあらゆる文書に反映されなくてはならなかったからだ。

だが、わたしはあまり二五階に足を運ばなかった。

デリカテッセンのサンドイッチで一〇日も過ごした後になってはじめて、わたしは二五階の主会議室で、この取引に関わっているメンバー全員のために、二四時間食事が供されていることを知った。

誰一人、わたしにそのことを教えてくれなかったんだ。ショックだった。

それに、最新の変更を文書に盛り込めなかったというので、最初の一〇日間に、二度も厳しく叱責された。変更についても、誰一人教えてくれなかったんだ。

また、こうもいわれた。君ときたら、居場所がわからなくて、捕まえるのに苦労するよ、まったく困ったもんだ

p.25-26(下線筆者)

 

その努力は孤独でありたいという病に侵されていて、空回りするだけだったと。二五階(ほとんどのメンバーが仕事をしていたフロア)には必要な時にしか行かず、自分の部屋にこもって仕事を続けていた。それが間違いだった。

この「孤独でありたい」という心理の根元には次のような被害者意識があったと述べています。 

 

孤立してしまう心理=被害者意識

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孤立状態を引き起こしたバドの被害者意識。その内容を記述していきます。

 

「まったくその通りだ。問題は、わたし自身にあった。

取引にきちんと関わろうとせず、全力投球することもなく、きちんと見通しを立てようともせず、他の人たちに迷惑をかけていた

でもあのとき、もし誰かに、集中力が欠けているとか、ちゃんと関わっていないと非難されたら、わたしはどう反応しただろう。相手のいうことがもっともだと思ったろうか」

(省略)

「サンフランシスコに来るために、生まれたばかりの赤ん坊を後に残してきたのは、誰だ? わたしだ

一日二〇時間近く働いているのは? このわたし

他の人たちの四階も下のフロアで一人で仕事をさせられているのは? このわたし

食事のような基本的なことすら教えてもらえなかったのは? このわたし。」

(省略)

わたしの目から見れば、自分は全力投球しているもいいところ、この取引に一番集中して取り組んでいるのは、わたし自身なんだ。

他の人の抱えている問題など、わたしの問題に比べれば些細なものだ。にもかかわらず、一生懸命働いているじゃないか

p.27-28(下線筆者)

 

「このわたし、このわたし、このわたし」。いつの間にかバドは俺だけ・私だけ症候群に陥っていたわけですね。自己中心性シンドローム。「自分だけが頑張っている」という被害者意識を持った上での努力は自己犠牲にしかならず、業績につながらないばかりかブレーキにもなってしまう。最悪なことには自己犠牲という言葉を盾に使ってしまう。それが職場の問題を引き起こしているんですね。

 

 

自分の問題に気づくステップ:『自己欺瞞』を認識せよ

 

「箱の中に入っている」とはどういうことか

 

サンフランシスコの仕事でつらく苦しい経験をしたパドは、被害者意識にかまけて仕事に集中していない状態を認識することが大事だったと説きます。

 

「たとえば、仕事に全力投球しないといった類の問題を解決するには、まず最初に、より大きなこの問題をなんとかしなくてはならない。

自分が全力投球していないという事実に当人が無自覚な現状をどうにかしなければ、問題は解決できないんだ

p.29(下線筆者)

 

「自己中心的な思考体系に侵されている」という問題を張本人に気づかせ、自覚を持たせるのが本書の目的です。この自己中心的で何も気づかない見えていない状態を、本書は『自己欺瞞』と呼んでいる。

 

「実は、わたしがサンフランシスコで経験したこのまったく何も見えていない状態には、ちゃんと名前がついているんだ。

哲学者はこれを、『自己欺瞞』と呼んでいる

でもザグラムでは、もっとくだけたいい方をしている。『箱の中に入っている』というんだ。

つまり、自分を欺いているときには、わたしたちは『箱の中』にいるというわけだ

p.30(下線筆者)

 

 

「箱の中に入っている」と現れてくる問題点

 

「自分はこんなに努力しているんだ」と自己を正当化し、「自分はこんなに努力させられているんだ」と自分を被害者に仕立てる。この状態が「箱の中に入っている」という言葉の正体です。自己正当化と自己犠牲化。業績よりもこの二つのマターに集中してしまっている、と。

それがどうしていけないのか。自分や周りの人間に次のような問題が生じていないか、考えてみてください。

 

「自分が抱えているとは思いもしない問題、自分には見えない問題を抱えていて、その結果、『囚われていた』んだ。

わたしは、物事を自分自身の狭い視点からしか見られず、仕事に集中していないという言葉に対して激しく反発した

これはわたしが、ぴったりと閉じた箱の中に入り込み、周りから遮断されて、何も見えなくなっていたからなんだ。わかるかな」

p.30(下線筆者)

 

↓問題のある人間に共通する特徴

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問題のある人はどこの職場にもいると思います。その人にここを直してほしいと指摘しても聞いてもらえなかった経験がある人も多いでしょう。どうしてあの人は話を聞いてくれないのか、どうして反発しようと頑張るのか。それはね。

 

 

問題人物には「その人自身が引きおこしている問題」が見えていない

 

「たとえば、君自身の仕事での経験を振り返ってみて、ほんとうにやっかいだった人物を思い浮かべてほしい。共同作業をするうえで、どうしようもなく邪魔だった人物と言ってもいい」

(省略)

「さて、そこで質問だ。本人は、自分に問題があると思っていただろうか」

「いいえ、絶対にそんなことはありません」

「そうだろう」

そういうと、バドはわたしの真正面で立ち止まった。

「えてして、問題がある人物自身には、自分に問題があるということが見えなくなっている。組織が抱えているさまざまな問題の中でも、これはもっともありふれていて、もっともダメージの大きい問題なんだ」

バドは椅子の背に手をおいて、椅子に寄りかかった。

自己欺瞞、あるいは箱。これこそが大問題なんだ

p.31-32(下線筆者)

 

先ほどの図に次の文を加えましょう。

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いくら言っても無駄な理由はここにあります。問題は自分にあるという事実に気づくことができない。これが問題の根底にあると何を言ってもやっても意味はない。

ただ! これは極端な例にすぎません。ほとんどの人が気づいていない問題があります。自覚していないだけで皆に問題がある。問題人物を笑ってはいられないのです。

……私はそんなことないって? 自分自身の問題にはちゃんと気づいている! 私はまともな人間だ!!

 

 

 

 

 

 

 

本当に?

 

 

私の方はコミュニケーションを取ろうと努力しているのに!

 

本当にそうでしょうか? そのことについて今ここで考えてみましょう。

「自分はこんなにしてあげているのに!」と思ったことは誰にでもあると思います。しかし、相手に何かをしてあげていたとき、自分が一番求めていたものは何だったのか? そんな疑問を持ったことのある人は少ないのではないのでしょうか。「善行をやっている」という錯覚に陥っていた無自覚な僕にとって、↓の話は非常に刺さるものがありました。

 

「数年前のことだ。六番ビルで二人の人間が働いていたんだが、この二人はいつも互いに角つきあわせていて、チームにとっても実にやっかいな存在になっていた。

ある日、その片方がわたしのところにやって来ていった。

『いったいどうしたらいいのか、まったくお手上げです。

レオンに、こっちのいうことに耳を傾けさせようとしても、聞きやしない。どうやっても、駄目なんです。どうも、自分がないがしろにされていると思っているらしい。

それで、いつもならそんなことはしないんですが、レオンの家族についてたずねてみたり、ランチに誘ったり、あらゆる手をつくしたんです。でも、まったく役に立ちませんでした』

『ゲイブ、ちょっと考えてみてくれないか。真剣に考えてみてほしいんだ。

君はレオンに対してあれこれアプローチしているわけだが、そうやって、自分が相手に関心を持っていることをわからせようとしているとき、君にとって一番関心があるのは、何なんだろう

彼のことなんだろうか、それとも彼の目に自分がどう映っているかなんだろうか

わたしがそういうと、ゲイブはちょっと驚いたようだった。

『おそらくレオンは、実は君が自分になんか関心を持っていない、と感じているんじゃないか。だって実際、君はレオンより自分に関心があるんだから

ゲイブはついに、どこに問題があるのか、気づいたようだった。苦しい瞬間だったと思う。その先をどうするかは、ゲイブ次第だった。

わたしが今日君と一緒にしようとしていることも、やはり君次第なんだ」

p.45-47(下線筆者)

 

嫌な相手ともコミュニケーションをとろうとしている自分は、コミュニケーションのとれないこの相手よりも優れた人間だ。そんな優越感は周りにも伝わっているということですね。相手の話よりも自分の見え方を気にしている。その下心は伝わっているし、そんな風に接してきた人間に対していい思いはしませんよね。自分の思惑は相手に伝わるという事実、そこに気づけるかどうかがコミュニケーションを改善する出発点になるわけです(バドの「やはり君次第なんだ」という言葉には、本書を読んだ人がどうするかは結局その人次第という意味にもとれますね)。

 

 

思惑は伝わっている

 

自分の思惑や心の底にあるものは伝わっている、そのことについてバドは次のように説明しています。

 

つまり人間は、相手が自分をどう思っているのかを感じることができる、これがポイントなんだ

自分が相手から、なんとかしなくてはならない問題と見なされているのか、操られているのか、策略を巡らされているのかが、わずかな時間でわかってしまう。偽善だってかぎつけられる。見せかけの親切の下に隠れている非難を、感じ取ることもできる。そして往々にして、そういう相手の態度を恨めしく思う、

相手が歩き回り、あるいは椅子の角に腰かけて、話を聞こうじゃないか、君のことは大いに関心がある、といったふりをしたところで、家族についてたずねたとしても、あるいは仕事を効率よくしようとあの手この手を使ってみせたところで、関係ない。人は、相手が自分をどう見ているかを感じ取り、それに対して反応するんだ

p.50(下線筆者)

 

「相手に何を言うか」よりも「相手をどう思っているのか」、これが大事ということですね。コミュニケーションの問題を解決するためには他人に対する自分の意識を変えなければならない。その変化がなければ親切な行動をしても無意味だし、テクニックに走ってしまう。相手に無理に話させるよう仕向ける技術に。バドはそう言っているわけです。「話を長引かせる方法」などコミュニケーションの技術を伝授します! と謳う自己啓発本を読んだとしても、状況がほとんど改善しない原因はここにありました。

 

 

意識高い系へ「テクニックは反感を生む」

 

「相手に関心がないこと」、これが巷で流行りのコミュニケーション本を読んでも何も解決しない理由です。相手に関心があるのではなく、テクニックに関心を持っている。それでは何も改善することはできないよ、とバドは指摘しています。

 

「人とのやりとりや仕事のうえで最新の手法やテクニックを使ってみたところで、そんなことはまるで関係ない。周りの人々は、こういった人に、結局は反感を持ち、そのやり方に腹を立てる。

だから、こういう人たちは、リーダーとしては失敗してしまう。周りの人の反抗心をかき立ててしまうんだ

p.53(下線筆者)

 

意識高い系の人が嫌われる理由が↑ですね。「反抗心をかきたてる」。優秀な人間になって優秀なリーダーになりたいという気持ちが、テクニックの習得を最上位にあげる。それだけでなく、自分(の評価)に対する関心も増幅させてしまう。結果、相手に関心を持つことができなくなる。リーダーになろうと努力して、リーダーになるための大切な資質を失っていく。そんな悪循環が起こっています。

 

 

リーダーに必要なのは「一緒に働きたい!」と思わせる人間性だ

 

優秀なリーダーにできること。それは……。

 

「ところが一方で、ルーのように、対人関係では不器用であっても、他の人間を献身的な気持ちにさせたり、仕事に積極的に関わろうという気持ちを起こさせられる人間が、存在する。

人間関係の最新のテクニックを知らなくても、関係ない。彼らはものを作り出す。そしてそれだけでなく、ものを作り出すよう、周囲の人を励ますことができる

ザクラムのもっとも優れた指導者たちの中には、こういった人たちがいるんだ。

彼らがしたりいったりすることが、いつも正しいというわけではない。

にもかかわらず、誰もが一緒に働きたがる。彼らはちゃんと成果をあげられるんだ」

p.53(下線筆者)

 

周りに熱意を湧かせることができる。これが優れたリーダーの条件です。自分だけ頑張っていればいいのではなくて、周りの努力も引き出すことができるかどうか。そこが問われている。優秀なリーダーは部下が安心できる環境を作ることができ、その創造性を引き出せるということですね。

ただ、コミュニケーションのテクニックを勉強する必要がまったくないというわけではありません。無駄だと言うつもりはない。テクニックの前に他人と接するときの姿勢を改めるべきだということです。実際にバドは次のように述べています。

 

「それにしても、人間関係のテクニックにまったく価値がないといわれると、ちょっと……」

「そうじゃあない。そんなことをいうつもりはさらさらない。第一原則ではありえない、というだけの話だ」

(省略)

「人間関係をスムーズにするための手法が威力を発揮するかどうかは、もっと深いところにあるものによって決まってくるんだ」

p.54(下線筆者)

 

深いところにあるもの……? ここから成功し続ける人の本質、すなわち周りの人間の捉え方に対する目新しく、人生を変えるほど鋭い指摘でありながら、人間味が感じられる誠実な考え方を紹介していきます。

 

 

深いところにあるもの

 

「それで、その深いところにあるものっていうのは何なんです?」

わたしはすっかり好奇心にかられていた。

さっきいったことだ。自己欺瞞。言葉をかえれば、箱の外にいるか中にいるかだ

(省略)

これまで話してきたように、こちらが外見上何をしているかではなく、心の中で相手をどう思っているかが、問題なんだ。相手はそれに反応するんだから。

それでは、こちらが相手に対して抱く感情は、何によって決まるのかというと、こちらが相手に対して、箱の中にいるか外にいるかで、決まる

p.56(下線筆者)

 

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ということですね。これまで「相手は自分の思惑を読み取る」ということを繰り返してきました。基礎の基礎が怖いってことをスゥー、今日何度も言って……。

では自分は相手に対してどんな類の感情を持つのか。それは何で決まるのか。

いよいよ第一部における一番重要な話が展開されます。

 

 

どうして人が憎く見えてしまうのか

 

隣に座られるのは嫌だ

 

自分が周りの人間に対してどうして憎しみを感じてしまうのか。それは他人に対して恐怖を感じていて、自分と同じようなニーズを持っている「人間」だと思えていないからです。バドはこの主張を身近な例を挙げながら展開しています。少し長いですが引用してみましょう(飛行機を「電車」に置き換えて解釈するとより親近感を持って読めます)。

 

「一年ぐらい前、わたしはダラスからフェニックス行きの全席自由のフライトに乗った。空港にはかなり早く着いたので、搭乗の順番はわりと前のほうだった。

搭乗するときに、係員が、このフライトは満席にはなっていないが、空席はごくわずかだといっているのを耳にした。わたしは飛行機の前から三分の一くらいのところで運よく窓側の席を見つけ、胸をなでおろした。

ありがたいことに、隣は空席だった。まだ席を見つけていない乗客が次から次へと通路をやってきた。皆、いい席を見つけようとさっとあたりに目を走らせる。

わたしは隣の空いている席に書類鞄を置くと、書類を取り出して読みはじめた。

今も覚えているんだが、わたしは通路にやってくる人々を書類越しにちらちらとのぞき見ていた。そして、誰かが書類鞄を置いてある席に座りたそうにすると、書類をわざと大きく広げて牽制した。わかるかな」

p.56-57(下線筆者)

 

さすがに空いている席にカバンを置ける人は日本ではレアだと思います。ここでは席が空いているかどうかは関係なく、電車に乗っているとき周りの人間に対して自分はどう感じているか。乗車中の自分を思い返してください。

 

「こういうことをしているあいだ、わたしは席を探している人たちを、どのように見ていたんだろう。

わたしにとって、他の人々はどんな存在だったんだろう」

「そうですね、脅威だったんじゃないですか。やっかい者、問題の種、そんな感じでしょう」

「オーケー、その通り。ではわたしは、他の人たちの席を見つけたいという望みを、自分自身の望みと同様、当然のものだと思っていたのだろうか」

「とんでもない。自分のニーズがまず一番であって、他の人のニーズなんかは、ついでに考えればいいくらいのものにすぎなかったんです。」

自分の不躾さに驚きながらも、わたしは続けた。

「あなたは、世界は自分を中心に回っていると思っていた」

p.58-59(下線筆者)

 

歩いている人の「座りたい」というニーズを意識したことがあるか。それは自分のニーズと同じ重さだと思っているか。周りの人間を脅威だとは思っていないか……。そういう問題提起をしたいと。電車の中心でニーズを叫んだけもの……。

「別に、無関心なだけだから」問題ないと考えるかもしれませんが、次に出てくる女性の話を知るとそうは言ってられません。

 

 

「隣の席が空いていますよ」

 

「君のいう通りだ。あの飛行機の中でのわたしには、他の人間の望みやニーズを尊重する気がろくになかった。

さて、では次にこんな例を考えてみよう。六ヶ月前、わたしは妻と一緒にフロリダに旅行した。どういうわけか発券にミスがあって、わたしたちの席はバラバラになってしまった。飛行機はほぼ満席で、アテンダントは、わたしたちを一緒に座らせようと四苦八苦していた。

なんとか一緒に座れないかとあれこれ思案しながら通路に立っていると、一人の女性がざっと折り畳んだ新聞を手に、飛行機の後ろのほうからわたしたちのところにやってきた。

『あのう、隣り合った席をお望みなんですか。でしたら、わたしの席の隣が空いているみたいですけれど。わたしは、そちらの席に移ってもかまいませんよ』

さて、この女性について考えてみよう。この人はわたしたちをどう見ていたんだろう。やっかい者だ、脅威だ、問題だと思っていたんだろうか

「いいや、まったく違いますね。あなたたちを、近くに座りたくて席を探している人たちだと見ていたと思いますよ。当たり前といえば当たり前かもしれませんが……」

「いや、まさにその通りだ。この女性と先ほどのわたしを比べてみよう。彼女は、わたしのように自分のニーズや望みを特別なものだと思っていただろうか」

「いいえ。彼女の目から見て、あなたのニーズと自分のニーズの重さはほぼ同じくらいだったはずです

p.59-60(下線筆者)

 

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(左が女性の見方、右がバドの見方です。自分の周りの人間は恐怖を感じる必要のない存在か、電車に座っている正しい自分とは違って問題ある人たちか……ここがポイントです)

 

 

他人に対してゆがんだ見方をしていないか

 

自分の領域以上に席を占有していたバド。席を探している人に近づいて自ら声をかけた女性。一体彼彼女の心の中ではどのような論理が立てられていたのか。その心理が記述されています。

 

「わたしは他の人々を見くびっていたが、彼女は見くびったりしなかった。

わたしは不安でピリピリしていらつき、脅威を感じ、怒っていたが、彼女のほうは、こういった感情は、まったく持っていないように見えた。

わたしは席に座って、書類鞄を置いてある席に座りたそうな人の欠点をあげつらっていた。あいつは陽気すぎるとか、あいつは陰気そうだとか、手荷物が多すぎるとか、おしゃべり好きだとか。

一方彼女は、他人をあげつらうのではなく、陽気であろうが陰気であろうが、荷物をいっぱい持っていようが、おしゃべり好きであろうが、ともかくどこかに座らなくてはならない人間なんだ、ということを理解していた。だから隣の席に、そしてこの場合は自分の席にも、他の人が座ったところで、まったく当然のことだと思った

どちらの飛行機の乗客も、同じように希望やニーズや心配や不安を持っている人間であって、いずれにしても座席に座る必要があった。違うだろうか?」

「それはそうでしょう」

「にもかかわらず、わたしは自分を何か特権のある優った人間だと考えていた。

つまり、自分や他人を見るわたしの目は、ひどくゆがんでいたわけだ

そして、他の連中を低く見ていた。他人のニーズや望みは、自分のニーズや望みに比べれば大したことのないごく軽いものだとね。

しかもわたしには、自分がしていることが問題だということさえわかっていなかった。わたしは、自分自身の目を欺いていたんだ。いってみれば箱の中に入っていた

一方、席を譲ってくれた女性は、他の人々や全体の状況をかたよることなくはっきりと見ていた。他の人をあるがままに、自分と同じ人間、同じようなニーズや望みを持った人間として、まっすぐに見ていた。つまり、箱の外にいたわけだ

だからこの二人は、外見は全く同じような状況だったにもかかわらず、内的にはまるで違った経験をしていたことになる。この違いが重要なんだ」

p.61-62(下線筆者)

 

「彼にもニーズがあり、彼女にもニーズがある。おじいさんがニーズを持っているように若者にもニーズはある。各々のニーズは平等なんだ」。そうバドは言っているわけですね。そんな風に考えられなくなると、自分のニーズを優先順位の一番上に持ってくると、他人に対する見方にもゆがみが生じてしまう。ゆがみとは他人の欠点にばかり注目してしまうこと。あいつはこんな問題があるから、自分の方が正しい。自分の考えの方が正しい。自分の行動の方が正しい……。

病院の待合室も、キャンペーンの長い列も、ハロウィンのイベントも、テレビのコメンテーターもそうですよね。待合室や長い列の中にいるとイライラしてくるし、ハロウィンの問題行動は報道されるし、コメンテーターは的外れなコメントをする。どれも自分のニーズ(やりたいこと言いたいこと我慢していること)を一番上に置いているからこそ起こる問題です。他人のニーズを感じられないから他人に迷惑をかけるし誰も求めていないコメントをする。自分のニーズしか見れないから他人の姿に「ゆがみ」が生じて、自分は周りからイライラさせられていると思ってしまう。

 

 

他人を「人」として見るか、「物」として見るか

 

「見かけ上、わたしが何をやるにしても、たとえば席に座り、人を観察しながら新聞を読むにしても、それには基本的に二つのやり方がある。

他の人々をあるがままに、わたしと同じようにまっとうなニーズや望みを持った人々として見るか、あるいはそうでないか、この二つだ

前にケイトがいっていたんだが、一つ目の場合には、人は、自分を他の人々に囲まれた一個人だと感じているの対し、二つ目の場合には、物に囲まれた一個人だと感じている

前者の場合、わたしは箱の外にいるが、後者の場合は、箱の中にいる。わかるかな」

p.63(下線筆者)

 

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自分のニーズを絶対視しているとき、心の底では自分は間違っているのではないかと感じているものだと思います。自分はそこの人より劣っているかもしれないと。そんな劣等感を持っているのはつらいですから、自分を守るためになんとか対処しなければなりません。それが他人を「物」のように捉えること。パターン通りにしか動けない「物」だとね。そうすることで「人」である自分は特別だし、「人」である自分は劣っていないし、「人」であるからこそ自分は正しいんだ。周りの「物」たちよりも。そう考えてしまうことが『自己欺瞞』であり、『箱の中に入っている』状態であり、コミュニケーションを妨げている原因である。これが第一部で言いたいことです。

(ここまで読むと『箱』は「自分の殻」(に閉じこもるなという文脈でよく使われる)とは違う意味であることもわかります。自分の殻を飛び出して他人と接している人も、『箱』の中に入っているということは十分あり得る話です。他人とコミュニケーションをとっている時、相手の欠点を探せばいいだけですから。

殻に閉じこもってないから私に問題はない、というわけではないことには注意が必要ですね)

 

 

日常生活ではそうかもしれない。でも、ビジネスという厳しい世界でもそんなことが言えるの?

 

「それはきれいごとだよ、仕事をしているときにそんな余裕はもてないよ」と思われるかもしれませんね。あまり役に立ってないアイツも尊重しないといけないの? と。

 

「君の疑問には、人が箱から出ているときは行動がソフトになり、箱の中にいると行動がハードになるはずだ、という前提がある。

だからこそ、現実に、常に箱から出たままの状態で事業を進めていけるんだろうか、と言う疑問が生じる」

p.77(下線筆者)

 

ここでいう「ハード」は人に厳しく当たるということ、「ソフト」は優しく接するということです。皆のニーズを大切にしていると仕事なんて進まなくなるんじゃないの? とトムは疑問を呈します。

ミスした人間を叱責したり追及したりしてはいけないのか。部下に厳しく当たっては駄目なのか、ビジネスに優しさが通用するのかということですが、ここには重大な勘違いが潜んでいます。それが次の話題。

 

 

心がゆがんだまま相手を叱責したとしても不信や反抗心を生むだけです

 

部下に自分と同じレベルにきてほしいと願っているのに、どうにもそんなことにはなりそうにない。どうして部下は俺と同じように努力できないんだ。と、思ったことはありませんか? 正しいことをしているのに部下は思うように動いてくれない……その理由をこれから考えます。

 

厳しい叱責が自己満足になってしまうとき

 

「わたしのオフィスと同じフロアの少し先に会議室があって、わたしはよくそこに行って、考えごとをしたり戦略を練ったりします。うちの部署の人間は、その部屋がいわばわたしにとって第二のオフィスであることを知っています。

(省略)

ところが先週、うちの部署のある人間が、その部屋を黙って使ったんです。

それだけじゃあない。その人物は、わたしがホワイトボードに書き留めておいたメモを、一切合切消してしまった。まったくひどい話です」

「いやあ、それはひどい。そんなことは、すべきじゃないな」

「そうでしょう? わたしはかんかんになりました。

メモした内容をもう一度思い出して組み立て直すのは、大変でした。今でも、すべてをちゃんと再構成できたかどうか、はっきりしないんです」

わたしは、さらに先を続けようとした。

自分がすぐに相手をオフィスに呼びつけたこと。相手の差し出した手を拒み、座るようにともいわずに、今度あんなことをしたら新しい勤め口を探さなくてはならなくなる、といったことを

だが、思い直した。

「このような場合、自己欺瞞はどう当てはまるんですか」

p.63-64(下線筆者)

 

「会議室を無断で使ったばかりか、私のメモを捨てた。書いてあった内容を再構成するのに、私は非常に苦心した。だから、同じ間違いを繰り返さないよう注意した。この行為の何が間違っているのか」とトムは思っています。これは勘違いです。

この話のポイントは「その行為が正しいかどうか」ではなくて、「何を望むべきだったか」というところにあります。行為自体は間違ってないがその結果の中に見落としていることがある。トムが望んだことと望むべきだったことについて、これから説明されていきます。

 

「じっくり考えてみてほしいんだが、かりにその人物が、実際に不注意で、馬鹿で、無遠慮だったとしよう。それにしても、この事件が起きたときに君が相手を責めたほど、不注意で馬鹿で無遠慮な人間だったと思うかい

「相手を責めたりはしませんでしたよ」

「口に出してはね。でも、その出来事以来、その人物と言葉を交わしたかな」

わたしは、氷のように冷たい自分の応対を思い出した。握手すら拒んだのだ。

(省略)

「君と会ったときの、相手の気持ちを想像してみてくれないか。相手は、君からどのような感じを受けただろう」

答えははっきりしていた。バットで殴られるよりも、応えたに違いない。

今の今まで、相手のことなどろくに考えていなかったのに、今になって、相手の声が震えていたこと、オフィスから出ていくときのあわてた、おぼつかない足取りなどが、思い出された。

わたしは、自分がどれほど相手を傷つけ、相手がどう感じたかに、はじめて思い至った。

(省略)

「そうですね。今思えば、うまく対処できたとはいえないかもしれませんね」

「では、最初の質問に戻ろう。当時の君は、相手を実際よりも悪く見てはいなかったろうか。君の目にゆがみはなかったろうか

(省略)

「君は、相手を自分と同じ人間だと思っていたのだろうか。

同じように希望もあればニーズもある人間として見ていたのか、それとも相手は単なる物、脅威、やっかい者、問題だったんだろうか

わたしはとうとう口を開いた。

「物にすぎなかったんじゃないでしょうか」

「ではこの場合、自己欺瞞はどのように当てはまるんだろう?

君は箱の中にいたんだろうか、それとも外にいたんだろうか」

たぶん、中にいたんでしょうね

p.66-68(下線筆者)

 

まず、望んでいたことについて。トムは部下を叱責する際「自分の不満をぶつけたい」「自分の権威を見せつけたい」ということを望んでしまっていた。状況を改善することよりも「言ってやりたい」という気持ちを満たす方が大切というわけ。もっと悪質な話になってくると、相手の弱っている姿を見て優越感に浸りたい、という人もいますね。

こんな風に自分の感情を満たすことに固執してしまうと相手を見る目に「ゆがみ」が生じてきて、本来の姿よりも相手が悪く見えてくる。相手が問題の種だと見えてしまうのは、自分が相手を問題ある人間と見なしたいと思っているから。相手が悪くあればあるほど相対的に自分は正しくなるし、思いっきり自分の感情をぶつける行為も正当化できる。『自己欺瞞』『箱の中に入っている』状態です。

そういう状態の人から何を言われても納得できる人はいないでしょうし(従うフリはしても)、不信や抵抗心が生まれるだけだ、と話は続きます。

 

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正論がプラスに働くとき、マイナスになるとき

 

「君が一見正しいことをしたとしよう。たとえそれが正しいことでも、箱の中にいて行った場合には、非生産的な反応を引き起こすことになり、箱の外にいるときとはまったく違う結果を招く」

(省略)

「ジョイスのことを考えてみよう。君のやり方だと、彼女は二度と会議室を使わないだろう」

「おそらく二度と使いませんね」

「君は、二度と会議室を使うなといいたかったんだから、目的は達成されたわけで、彼女との話はうまくいったと思っている

「ええ、そう思いますが」

これなら、自分がやったことについて、それほど深刻に考えなくてもよさそうだ。

「なるほど。では、会議室以外のことについて考えてみよう。

どうだろう? 自分のいいたいことを箱の中から伝えたことで、彼女の仕事に対する熱意や創造性をかき立てることは、できたろうか、それともできなかったんだろうか

p.74-76(下線筆者)

 

感情にまかせた叱責をしてしまうと、その相手はあなたに対する委縮や反発心を覚えてしまいます。一度こういった感情を抱えてしまうとどうやってこの人から離れるかに意識が向いてしまって、仕事に集中することはできなくなります。創造性はどっかに飛んでいく。

感情的になっている時点でアウトです。イライラしているということは『箱に入っている』ということ。そんな状態では人を望み通りに動かすことはできませんし、その人に対してイライラし続けるだけです。今の自分の気持ちに執着して怒るのではなく、未来を見据えて改善策を考える。部下の創造性を押さえつけるのではなく、彼らが長所を気兼ねなく発揮できるような環境を作ることが大切です。

正しいことにはやり方がある。

 

 

優しさと厳しさは共存できる

 

厳しさと優しさは共存できます。「箱」の外にさえいれば。

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ということです。

厳しい指摘も、

 

箱の外にいる⇒生産性、熱意を引き出すことができる

箱の中にいる⇒反抗心、憎しみを持たせてしまう

 

とまったく異なる結果をもたらします。叱るにしてもやり方が大事。その認識を常に持てるかということがあなたのリーダーの質を示している。

優れたリーダーは自分の行動が与えてしまう部下の心理への影響を熟知しています。だからこそ、部下が反発心を抱かせないように接して、仕事に集中させることができる。周りがついていきたいと思えるリーダーになれるわけですね。

 

 

職場のコミュニケーションを改善する方法

 

今までの内容は次のようにまとめられます。

 

人が他の人々にどのような影響を及ぼすかは、行動よりも深いところにあるものによって決まる。

箱の中にいるか外にいるかが問題なんだ。

君はまだ箱について多くを知っているとはいえないが、とにかく、箱の中にいると、現実を見る目がゆがんでしまう。自分自身のことも他の人々のことも、はっきりと見ることができなくなる。自己欺瞞に陥るわけだ。そしてそこから、人間関係のあらゆるごたごたが起こってくる

そのことを念頭において、一時までのあいだに、あることをしてほしい。

ここで働いている人たちについて、もう一度考えてみてほしいんだ。自分の部下についても、それ以外の人についても。

そしてそういった人々に対して、自分が箱の中にいるのか、外にいるのかを問い直してほしい。

p.82-83(下線筆者)

 

どうでしょう? ここまで読んでくださった皆さんもひとまず手を胸に置いて思い返してみてください。家族のこと、同僚のこと。憎いアイツのことを。

「被害者意識は自己の肥大化につながる」し、「各々のニーズは平等」だから「人は『人』として見る」べきだし、「ミスを叱責しているときは必要以上に相手を悪く見ていないか気を付け」ないといけない。これらのことを踏まえて職場の人間に対する意識を変えることが大切です。

本書を読むことでコミュニケーションの諸問題を相対化でき、少なくとも(問題を解決できなくとも)人間関係の争いや憎い対象への抵抗から降りることができるのではないでしょうか。

 

 

「ありのままに見る」

 

ただ一つ、これだけはいえる。

ザグラムと同じように頭の切れる人や経験豊富な人を集めている会社はたくさんあっても、ザグラムほどの業績をあげている会社は、ほかにはない。なぜか。

それは、自分をあるがままの人間として見てもらえるとなると、頭の切れる人はさらに頭を働かせ、スキルを持った人はさらにそのスキルを発揮し、よく働く人はさらに懸命に働くという事実を、知らないからなんだ。

p.69-70(下線筆者)

 

「ありのままに他人を見る」。それで人生や世界がまったく異なった存在になりますね。

 

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