『聲の形(日本語字幕付版)』行ってきました、めっちゃイイ!! 感動の感想の形
aiko-『恋をしたのは』music video short version
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作品を観る前。どうなんかな~、感動を前面に押し出した甘い甘い作品なのかな~。とか!! 思ってたオレ。ごめんなさいしとけ。……今日映画行ってみる? 用事あるしやっぱ来週行こう、そっちの方がうまくまわる。とか!! 迷っていたオレ。土下座しとけ。ほんっっっっっと最初の一歩を踏み出して良かったです。
上映が開始されたときも原作どれだけ消化するんかなとか、硝子をどんなふうに演技するんだろうとか思ってましたが、途中からはそんなん考えてられへんくらい没頭してましたね。今年観たアニメーション映画(『君の名は。』『ズートピア』『耳をすませば』.etc)の中で、一番人間が描かれていました。人間の負の部分とそれを受け入れられない弱さ、それでも人のいる場所で生きていく強さがよく表現されていたと思います。以下感想。
観終わった直後は……。
鼻水垂れてました。ティッシュ持って行かなかったから。入るとき頂いた映画宣伝用の冊子で鼻を拭くしかなった。もうページ破っちゃおうかとも思ったけど(それで鼻をかんじゃおうと)、それは音が迷惑だろうから断念。鼻水なんかで名作に集中できないなんて馬鹿げてる! ということで途中から鼻水は垂れ流しでしたね。鼻水も涙も心の土壌の養分になりますから(映画の養分にもなればいいかと)。『聲の形』は、この二つの水が止まらない作品でした。僕の目と鼻は、大雨のさなかの水路のようで。ただ、フェアな言い方をしますと、鼻をすする音は聞こえなかった(僕垂れ流し)。もしかしたら原作未読か読破済みかで違いが出ていたのかもしれません。
そしてスクリーンから出るとき。ジュース等のゴミの回収に出待ちしていた二人のスタッフに見られてましたね。なんやこいつ、と。泣き顔さらしてましたから。ですが! 普段なら明日まで持っていくであろう自己嫌悪が今回は全然湧きませんでした。トイレなんて行きません(ティッシュ持ってないし)。そのままの顔でエスカレーターに乗りこんで(下に人がいても、その人は横を向いていて僕のあられな姿が視界に入っていても関係ねえ)、人の多いモールのなかも堂々と歩いて出ていきました。どう思われてもいいと。もうなんでもいいと。『聲の形』が存在していることがそれぐらい嬉しかった。
だから、もっと多くの人に観てほしい。客は10人ぐらいでしたし(平日割引なしの昼で)、上映数自体も少ない。「字幕付きが少ないんじゃないか」という批判もありましたが、字幕なしも少なすぎる(僕の行った映画館では朝1本、夜2本のみ。字幕付きは昼1本のみ)。身勝手な要求かもしれませんが、懇願ともとれますが、ほんとに観てほしいのです(とくに原作ファン、サイレントは制作者には伝わらない)。観客が増えていって、上映数上映館数が増えていったら嬉しいです。僕のエゴ。
主題歌『恋をしたのは』(aiko)の歌詞に、「迷わぬよう歩いていけるたったひとつの道標」という一節がありますが。僕にとってはこの映画だ。
注目すべきはココ!(ここから少しネタバレあり)
足もとの表現:京アニといえば、かろやかな髪の描写(ストレートな髪の描写も上手い)や、ちょっとした表情の動きが巧みでしたね。今作でもその実力はいかんなく発揮されていますが、『聲の形』ではとくに、ひざから下しか映さないことで表情を想像させるという手法がよくハマってる。たとえば硝子と将也の二人が初めて交わるシーン。これから新しいクラスに行く硝子の不安そうな足取りと、やんちゃな将也の大きな動きが人物像をうまく表現している。“これしかない”作画で。それ以外では、
・硝子のベッドでのバタ足×2(最初と二回目における硝子の気持ちの違いが足の動きでわかる)
・植野が将也と二人乗り(自転車はスタンドで固定)しているときに足の裏をぺたんぺたんする
・観覧車での硝子と植野の激しいやりとり(足元だけ映されていてもキツイ表情をしてるのが想像できてつらい)。
といったシーンが印象的でした。足元はひとつ、ポイントです。
真似したくなる手話:『聲の形』では手話がたくさん出てきます。手の柔らかな動きを観ていると自然と体が動きますね。赤ちゃんがお母さんの動きを真似するのと似てるかな。ザッザッザッみたいなぞんざいな動作じゃなく、穏やかなBGMを奏でる指揮者のような指の動きがよかった。映画に出てくる手話の中でも、指を二本立てる「またね」のサインが簡単で、意味するところも気持ちがよくて、パソコンの前でよくやってます。
演出:新海誠サマも以下のように賛美した演出。
映画『聲の形』試写で観てきました。素敵な作品でした。どこまでも真摯で丁寧な組み立てで、絵も色彩もエモーションに美しく奉仕していて。上品で端正な演出は、真似したくてもとても真似られそうもなく。キャストも皆素敵でしたが、個人的には入野自由さんの芝居に度肝を抜かれました。すごすぎ。
— 新海誠 (@shinkaimakoto) 2016年9月8日
個人的には心臓の鼓動の演出が見事。最初のシーン。心臓の「ドクッドクッ」に合わせて「鼓動」という文字が点滅する演出に震えました。文字から音が聞こえてきそうでした。そして、映画のラストに憎い演出が……(いいたい! けどネタバレが過ぎるからしまっておきます)。最初と最後を上手くつなげる演出は、字幕で効果が倍増してましたね。字幕版も、ぜひ!!
「ここが感動ポイントだぞ」というような演出はありません。ご安心を。
BGM:神。牛尾憲輔(『ピンポン THE ANIMATION』の音楽担当など)さんが手がけている劇伴が神がかってます。スクリーンの背後に流れるBGMが、この作品の背骨になっているといっても過言ではない!? ってぐらい凄かったです(語彙力なくて伝えられない……。メンゴ)。
ストーリー面では!
消化率に反比例する面白さ:結構はしょられてます。消化率は30%ぐらいかな。しかしそれが悪い方向には進んでいません。どう表現すればいいかわからないからできるだけ詰め込もう、とはしていない。「2時間でどうまとめればいいの」っていう言い訳は、スクリーンからまったく見えてきません。時間の短さはハンデになってない、武器になってる。映画『聲の形』は原作のうち、将也と硝子とゆづるの三人に焦点を絞って作られています。勇気ある省略だと思う。カットした分将也と硝子の関係を十分な量で表現できましたし、ふたりの“多くを言わないやりとり”がやさしく胸にくる(手話では多くを語れませんし、主人公たちも自分の気持ちをすぐ話すタイプじゃない。この点は『君の名は。』とは対照的ですね)。そんな物語になっていたんじゃないかと。
その他のキャラの魅力もよく描かれています。原作の抽出がうまい。植野の直情さ、永束クンの安心感、佐原と硝子のなかよしな感じなどは描写がとくに上手かったですね。ゆづるの動物の死体を撮る理由もフォローしてます。
花火大会の西宮家でのシーン:この場面の演出、BGM、作画に注目してください。その全部を含めてアニメーションにしかできない表現がここにあります。実写では出来ない映像が。水に滲むサイレン、現実に心のイメージが加算された作画が美しい。巧みなカット編成も魅力ですし、BGMも悲痛さを醸し出してる。京アニはアニメ映画の一つの方向性を示したんじゃないかと。
気になる言葉があれば是非:↓に印象的な言葉を書いていますので、心に触れるセリフがあれば是非映画館へ。
硝子「(ノートをみせながら)このノートを通してなかよくなりたいと思っています。」
硝子「わたちは、わたちが、きらいでちゅ」
硝子「(永束クンにメモ帳をみせながら)わたしが壊した日常を取り戻したい」
硝子「わだぢが変わらなかったから、あなたが落ちた」
将也「(硝子に)生きるの、手伝って」(本作のキャッチコピーでもある)
最後に。
われらがマリア:将也が天使と(原作で)思うだけある可愛さ。京アニのしぐさを描写する上手さも、マリアを可愛く魅せてますね。声優の鎌田英怜奈さん(USJのCMの子役や『インサイドヘッド』ライリーの幼少期担当)は小学校入りたてくらいなのかな(2009年生まれ)。声がほんと可愛かったですね。しょーたん羨ましすぎる。……何言ってんだ……。
このブログで『聲の形』観てくれる人が一人でも増えると幸いです。増えろ。行け。
駄文失礼しました。では。
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