『ピクサー流 創造するちから』購入!創作に役立つ二つの原則とは
「Story is King」
ピクサー・アニメーション・スタジオ共同創設者であり
ピクサー・アニメーション/ディズニー・アニメーション社長でもある
著者エド・キャットムルが組織のつくり方を語る!
私には、集団で有意義なものを創造していくこと、
その後どんな最強の企業にも影を落とす破滅の力からそれを守ることについて、
言いたいことがたくさんある。
『ピクサー流 創造するちから』-p.16
↓目次です
『ピクサー流 創造するちから』(エド・キャットムル+エイミー・ワラス著、石原薫訳)購入しました! 以前から本屋でチラ見したいな~と探していたんですがなかなか見つからなかったので、今回Amazonで購入した次第です。この本のページ数、なんと400p! 文字数も多い。『THE 海外の自己啓発本』って感じ。和製啓発本とは一線を画している内容の豊かさ、具体的な話の数々。勉強になりました!
↓ティッシュ箱と並べてみました。う~ん分厚い!
(付箋の列がオルゴールの歯みたい。あと部屋が汚いので少しゴマカシテマス)
↓小説(398ページほど)とも比べてみた。厚みが2倍ほどありますね。
変な付箋の張り方ですが……↓のような目的で貼っていくとこんな風になりました。
↓重要なパラグラフに対応するように付箋を付けています
1ページに文字が詰まってますね。文字の量に比例して内容も濃いです。濃すぎです。できるもんならやってみい速読。
本書のあらすじ(まだ1/4しか読めてないけど……読破、無理……)
↑著者のエド・キャットムル。1945年にウェストバージニア州で生まれる(出典:Wikipedia-エドウィン・キャットマル)
真面目で実直そうな人柄がうかがえる写真。著者のエドは「コンピュータ・グラフィックス(CG)」の発展に多大な貢献をされています(第一人者と呼んでもいいくらい)。そんな経験豊富な著者が書いているだけにアニメーションにおけるCGの進歩の様子が手に取るようにわかります。彼が初めてCGで「手のひら」を作った人だけにね。
本書の最終的な目的は↓のように述べられています。
ピクサーがまだ軌道に乗る前、最初にハードウェアを、次にソフトウェアを販売し、その後短編アニメーション映画や広告を制作していた時期に、私は自問していた。
ピクサーが成功したら、やはりつまらないミスを犯すのだろうか。人の過ちに注意を払っていれば、自分の過ちに敏感に気づけるようになるだろうか。それとも、リーダーになること自体に、会社に迫る脅威に気づかなくさせる何かがあるのだろうか。
創造的で優秀なはずの企業で、危険なずれが生じているのは確かだった。何がそうさせているのかは謎だった。その謎を私は突き止めようと決意した。
『ピクサー流 創造するちから』-p.14(下線筆者)
↑の目的で作られた本書、「はじまり」「新しいものを守る」「構築と持続」「検証」の四部構成となっています(+序章)。見出しの文字が硬いね。内容も硬派。「はじまり」ではピクサーが誕生し、『トイ・ストーリー2』が完成するまでのストーリーが書かれています。著者エドはあちこちの場所に移住して、所属する集団をコロコロ変えて、集団の多様な性質を見てきた。その経験から自分の学んだことを伝えたいと。それが本書の目的ですね。
個人的にはちんぷんかんぷんな上司や変化を厭う同僚に苦労させられた話が驚き! 日本と非常によく似た会社の構造が描かれていました。無能が跳梁跋扈しているのは日本だけじゃなかったんですね(東京五輪……)。
う~ん、一部までしか読めなかったか……(そのため付箋も表紙から1/3程度の領域にしか貼られてません)。登場人物(著者エド・キャットムルやその右腕アルヴィ、ジョン・ラセター監督、そして何と言ってもスティーブ・ジョブズ!)の個性の豊かさに圧倒されつつ、エドの管理職としての工夫や知識に「へぇ~」となりつつ。大変勉強になりました。
「効率性」と言いながら仕事のやり方に進歩がみられない会社や、頭の固いトップが使う柔軟性という言葉の滑稽さ。現代日本に対するアンチテーゼとして非常に優れた書籍です。
スティーブジョブズについて悪く言っているのがなかなかレア。ジョブズの卓越した交渉の上手さ(著者は実際に交渉の場に立ち会い、ジョブズの技巧を目の当たりにしている)を紹介しながらも、その人間性についての疑問や憎しみがあからさまに展開されているのが面白い。
それでは、アニメーション制作と集団マネジメント(一種のメタ)の両方を経験した著者エドが、クリエイティブな集団「ピクサー」に課している信条とは? ディズニーアニメーション社長の考え方を見ていきましょう。
ディズニーアニメーション社長が語る二つの原則とは!?
ピクサーでは↓の二つの原則(信条)が大切にされています。
それは……
- 物語が一番偉い
- プロセスを信じよ
です! 一つ目は創作の姿勢、二つ目はマネジメント色が強い。まず、第一の原則「物語が一番偉い」という言葉の正確な意味とは? エドに聞いてみよう。
物語が一番偉い
第一の原則は、「物語が一番偉い(Story Is King)」。つまり、技術であれ、物品販売のチャンスであれ、何であってもストーリーの妨げになってはならないことを意味する。『トイ・ストーリー』を観た人が、映画を創るために駆使したコンピュータ技術ではなく、自分がどう感じたかを語っていたのが誇らしかった。それは、いつも物語に導かれて映画をつくってきたことの直接の結果だと思っている。
『ピクサー流 創造するちから』-p.101(下線筆者)
※『君の名は。』のネタバレも若干含みます。
ピクサーでは「脱出冒険物語なら先が見えないようにする」「キャラクターの葛藤には共感できないといけない」、といったことを大切にしているそう。ストーリーこそすべて。技術の発展に力を注いできたエドだからこそ↑の内容を言うことに意味がありますね。自身の得意なコンピューター技術が一番大事なのではない、物語こそ王者だと。謙虚な内容ですね。ピクサーとアニメーションを愛しているのがよく分かります。
この原則、キャラ重視の日本とは相反する思想だね。「物品販売のチャンスであれ」……アメリカでも物販の圧力があるのでしょうか。
ここからは個人的な意見。エドのいう「物語」とはその映画の“障害と設定”のことだと思う。キャラクターは何がしたいか。障害は何なのか。それがはっきりしているか。何よりも乗り越えるべき障害が新しいか。『トイストーリー』では“おもちゃ”というモチーフを主役にしたことで、「いつかは捨てられる子どものところへ戻るかどうか」という新たな葛藤を生み出しました。
『君の名は。』もそうですよね。「3年もの時間のずれ」というアイデアがこれまでにない困難を生んでいます。三葉を助けに行く過程が新しい。そのような設定(「おもちゃが主人公」「時間がずれている」)ができるか、その設定から新たな障害や葛藤が表現できるか、そこが一流かどうかを決定づける創造性なのでしょう。
レビューにおいて最初に賞賛されるべきは物語なんですよね。ストーリーがいいからこそ、映像技術や演技の評価にも熱が入る。これが健全な作品、健全な感想のあり方だと。私はそう理解しました。
著者のエドがどのようにこの原則をひらめいたのか。
その経緯には、ルーカスフィルム(『スター・ウォーズ』を製作したジョージ・ルーカス監督の会社)で短篇アニメーション『アンドレとウォーリーB.の冒険』の完成を目指していたエド・キャットムルとジョン・ラセターの経験が背後にありました。
ところが、締め切りが近づくにつれ、完成が間に合わないことが分かった。より優れたクリアな画像を作ろうとしていたし、映画の舞台を森に設定することでさらにハードルを上げていた(葉っぱの作画で当時のアニメーション技術の限界に挑戦していた)。だが、その画像のレンダリングにどれだけのコンピュータ能力と時間が必要かを考えていなかった。ラフなバージョンは間に合うが、ところどころにフルカラー画像ではなく、フレーム画像(ポリゴンメッシュで作成された最終キャラクターのモックアップ)が入る、部分的に未完成なものだ。
プレミア上映の夜、そうしたセグメントがスクリーンに現れるたびに悔しい思いをした。だが、驚くべきことが起こった。我々の心配をよそに、上映後に話したほとんどの人が、フルカラーから白黒のワイヤーフレームに変わったことに気づかなかったというのだ! 物語に感情移入しすぎて、そうした欠陥に気づかなかったらしい。
それは、私がその後自分のキャリアを通して何度も気づくことになる現象に、初めて出会った瞬間だった。美術的な技巧を凝らそうと、物語がきちんとさえしていれば、視覚的に洗練されているかどうかなど問題にならないのだ。
『ピクサー流 創造するちから』-p.64(下線筆者)
ピクサーの「物語が一番偉い」の基礎はこの経験にあったんですね。未完成なアニメーションでけなされるかと思いきや、意外や意外、好評を博しました。この予想外の経験から、創作の本質、すなわち(音響、特殊効果、CGといった)映画に関わるあらゆる要素の中で物語が一番大切だということを見抜きました。
ジョン・ラセターがこのコンピューター技術のお披露目会で発表するアニメーション用のストーリーを考えていますから、↑の文章は彼へのリスペクトでもあるのかな。あるいは、幼いエドを魅了したウォルト・ディズニーか。「物語が一番偉い」という信条は、ピクサーに所属しているメンバー全員の創造性を尊敬しているエドらしい考え方ですね。
では、二つ目の原則を見てみましょう。
プロセスを信じよ
我々が頼りにしたもう一つの原則は、「プロセスを信じよ(Trust the Process)」。これを気に入っているのは、非常に安心感が持てるからだった。さまざまな要素が絡むクリエイティブな作業には、必ず困難や失敗がついてくるが、「プロセス」に従って進めば切り抜けられると信じていい、そういう意味だ。
よくある楽観的な言葉(「諦めないで頑張れ!」)とたいして変わらないのだが、ピクサーではほかの映画スタジオとはまったく異なるプロセスをとっているため、実のところ効果的だと感じていた。アーティストには「遊び」を、監督には権限を与え、社員の問題解決能力を信頼する会社である。
私はつねづね、格言や規則というものはえてして中身がなく、思考を妨げるものだと思って用心していたのだが、この二つの原則は、実際に社内で役に立っていたようだ。
『ピクサー流 創造するちから』-p.102(下線筆者)
クリエイティブな人間を過剰に管理してはいけない。「遊び」を持たせるべきだ、とエドは述べています。
この文章を書いているエドはピクサーを設立する前(+設立してから数年)にいい経験してるんだよね。階層的な上下関係が強いられ、人を管理することを疑わない会社で困難を感じていた時期。そして開放的でフラットな大学で研究に明け暮れた日々。二つの管理体系を見てきたエドだからこその言葉の重みがあります。舵を引き締めずにゆるめるやり方が一番いいと見抜いているんですね。
しかし! ピクサーのある時期、この二つの原則が大きな大きな問題を引き起こしてしまいます。
原則に頼りすぎるな!
「プロセスを信じ」て監督に多分の時間を与え、自由にやらせることである程度は上手くいきました。しかし、原則に対する反省がない環境でついに大惨事が起こります。意外にも『トイ・ストーリー2』という傑作をつくっていた現場でね。
ようやくジョンに『トイ・ストーリー2』の監督たちの途中経過をじっくり観る時間ができた。彼はリールを観るために社内の試写室に入った。そして数時間後、私の前に現れた。部屋に入ってドアを閉めた。そして「大惨事」という言葉を口にした。
物語は空っぽで先が読め、緊張感がなく、冗談も笑えない。我々はディズニーにわざわざ出向いて、B級作品に甘んじないでホームランを狙おうと言い放った。今、それができていると言えるだろうか。このまま先に進めるわけにはいかない。正真正銘の危機だった。
出典:『ピクサー流 創造するちから』-p.105(下線筆者)
『トイ・ストーリー』を作ったチームがピクサー二作目『バグズ・ライフ』に専念していたため、『トイ・ストーリー2』では二人のアニメーターを初めて監督として起用します。そして出来あがった作品は……非常に内容が悪かった。『トイ・ストーリー2』制作の暗黒期について次のように語っています。
ピクサーでは、数カ月ごとに監督たちが集まり、制作中の映画の「リール」を披露する。リールとは、絵を接ぎ合わせ、仮の音楽や声をつけたものだ。(省略)
初期のリールでチームを評価することはできない。回を追うごとにリールがよくなることを願うばかりだ。ところが今回、よくなっていなかった。数カ月経っていたが、出来は良し悪しで言えば、まだ悪かった。
危惧した我々数人がジョンや『トイ・ストーリー』のクリエイティブチームに相談した。返ってきたアドバイスは、もっと時間を与えてあげること、そしてプロセスを信じることだった。
出典:『ピクサー流 創造するちから』-p.104(下線筆者)
二人の監督はおそらく「これでいいのかよくわからないけど、プロセスを信じよの原則通りやっているからいいじゃないか」と思いながら仕事をしていたのでしょう。周りの人間も同じように考えてしまっていたと。エドは「荷が重すぎる立場に置き、結果苦しめてしまった」(p.106)とも述べています。我々の責任を考えなければならないと。
この後二人の監督をジョン・ラセターに交代させ、残り9か月という厳しい時間の中でピクサーはあの傑作をつくりあげたんだ。ラセターの監督としての手腕が見事! 『トイ・ストーリー2』の現場でみせたクリエイターとしての優秀さが具体的に紹介されていました。
『トイ・ストーリー』のチームが参加することで何とか乗り越えたこの「大惨事」。この時期を境にエドは「物語が一番偉い」や「プロセスを信じよ」の原則について次のように考えを改めます。
ところが、業界の人たちと話し、ほかのスタジオのことをもっと知るようになるにつれ、それに近いモットーを皆が繰り返していることに気づいた。本当に芸術作品と呼べるものをつくっているところも、そうでないところも、物語が重要だと言っていた。
(省略)
つまり、繰り返し言うだけで、そのように行動し、そして考えなければ、何の意味もない。ピクサーでは、「物語が一番偉い」と唱えるだけでは、『トイ・ストーリー2』の未熟な監督たちには何の助けにもならなかった。簡潔で唱えやすいが、この指針で問題を未然に防ぐことはできなかった。むしろ、間違った安心感を持ってしまっていた。
『ピクサー流 創造するちから』-p.118(下線筆者)
唱えるだけでは何の意味もない! 口だけではなく行動で示さなければ。「プロセスを信じよ」の原則も同様だと考え、結局大切なのは「人」だと説きます。
それに気づいたときから、社員にも、意味のない言葉だと言うようになった。言葉に頼りすぎて、問題にきちんと向き合わなくなっている。信じるべきはプロセスではなく「人」だ、と。「プロセス」には意図や計画も、好き嫌いもないことを忘れていた。それがまちがいだった。プロセスは単なるツールであり枠組みだ。自分自身の仕事、自制心、目標にもっと責任と自覚を持つ必要があった。
『ピクサー流 創造するちから』-p.118(下線筆者)
この文章、私は次のように噛み砕きました。
原則とは↑のようなチェックシートではないと。各項目をクリアしていたらOKではないんだと。単なる枠組みに過ぎない、と。
だから、下を向いてチェックシートをペラペラめくるのはやめよう。顔をあげてモノを実際に作っている人の顔をちゃんと見よう。彼らが何に困っているのかチェックシートには載っていない悩みに目を向けよう耳を傾けよう。
二人の監督は何回も相談に来てたんですよね。でも、エドは深く取り合わなかった。プロセス「クリエイターは自由にやらせよ」を信じていたから。それが大惨事を引き起こしたと。ちゃんと二人の言葉を聞いていれば防げた問題じゃないか、と。
↑で挙げた二つの原則はクリアしていたらOKというようなチェックシートではない。工具であり、コンピューターであり、ツールに過ぎない。ツールに過ぎないんだ! とエドは反省して、ピクサーのメンバーにもそれを伝えています。大事なのはツールを使って何を作るか、作っている人のコンディションはどうなのか。深いですね。
う~ん↑で語った内容はほとんど101p~122p(第一部第四章)の20ページほどに書かれていることなんですよね。全体の20分の1。しかもその20ページのさらにほんの一部を抜粋しただけ。それでこの濃さ! いい本だ。だが厚すぎ!
残りのページ(300pほど)に何が書かれているのか。はたして読み切る日はやって来るのか。大物俳優激怒。そのワケは!?
……うそです。
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ピクサー流 創造するちから―小さな可能性から、大きな価値を生み出す方法
- 作者: エド・キャットムル著,エイミー・ワラス著,石原薫訳
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