良いもんつたえ隊 【映画でじぶんを変えてゆこう】

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『魔法のコンパス』ついに購入!西野亮廣の表にでないアイデアが楽しい!!

魔法のコンパス 道なき道の歩き方

漫才師、絵本作家、イベンター、校長、村長、ついには上場企業の顧問にも就任!

肩書きを自由に飛び越える芸人界の異端児“西野亮廣”が描く“レールからハミ出す人のためのビジネス書”、ここに誕生!

「ドキドキしながら仕事してる?」が目印です!!

 

アメトーークで紹介されていた『魔法のコンパス 道なき道の歩き方』西野亮廣著、主婦と生活社発行。アメトーーク「すごいんだぞ西野さん」の記事は→昨日の西野さんwww)、TSUTAYAに並んであったので購入してきました! ぱらぱら読んでいるとなかなかいいんじゃないか? と段々興味が惹かれていってどうしようもなくなってた。帯に『大好評続々、重版出来!「泣けるビジネス書」とSNSで話題!』と書いてあるとおり、「頑張り方がわからなくても頑張っている人」の気持ちをすくい取ってくれる本でした。

 

↓明るくて申し訳ございません

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集客力の大切さやお金から目を背けないこと、問題を考えるときの西野さんの着眼点の面白さ、解決策を思いつく際の発想力の豊かさもあってAmazonの高評価も納得のいく内容でした(Amazonタレント本(総合)ベストセラー第1位!、2016/11/15現在)。西野さんの大胆な行動力の裏側にはそれを支える巨大な考えがあったんだということも知れて、大変勉強にもなりました。読む手にも知らず知らず力が入ってて、ページに指の跡ができてた。

必然的に刺々しくなってしまう自己主張をエッセイ風の語り口が柔らかく包んでて、マイルドな読み心地。読んでいると気分がスゥっとよくなっていきます。ストレス解消にもなる。

 

ページ数も327p! とこういう系統の本としてはかなりの分量。なんちゃってタレント本ではないです。なんちゃって経営者本でもない。自分の考えをちゃんと持っていて、それを論理的に(ときにオモシロおかしく)説明しています。何が凄いかってくどくど語ってページ数が多くなっている訳じゃないところ! 話のバラエティーも非常に豊富で飽きませんし、簡潔に語られていて一つ一つの項が読みやすい。

 

本書に押し込められた43もの話題の中から5つの話を紹介しましょう。

 

↓目次です

 

 

『はじめに』が素晴らしい!

 

『はじめに』での西野さんの「芸人」という言葉の捉え方が素晴らしい! この本の中で一番好きかも。ラジオでのナインティナイン岡村さんの

 

「こういうとこ、西野、嫌いやねん。出たらええやん。(西野は)引くに引かれへんくなってるんちゃう? 『ひな壇に出えへん』とか言うてもうたから……」

p.2

 

という発言についての考察から始まります。普通なら踏み込みたくないところだと思うのですが……残念ながら西野さんは普通ではありません。西野さんらしく序盤からデッドヒートを繰り広げますよ。 

 

 

「みんなやってるんだから」という同調圧力と競争から降りる西野さん

 

実は、岡村さんがテレビやラジオで僕の活動に言及したのは、これが初めてではなくて、毎度、発言の根っこには「芸人は皆やってるんやから、お前もやれよ」という主張があったんだよね。

大好きな先輩なんだけど、この主張には賛同できなくて、「なんで、芸人なのに、皆と同じことをやらなきゃいけないんだろう?」と僕は思っていた。

岡村さんは「芸人だから、やれ」と言い、僕は「芸人だから、ヤダ」と言う。

要するに、岡村さんと僕とでは、「芸人」の定義がそもそも違ったわけだ。

p.3

 

いじめにも示唆がある話ですね。同調圧力「みんなそうなんだから」と自分の意志を否定されてしまうと、自分が間違ってるのかな~って気持ちが沈みます(西野さんはどうだったんでしょう)。日本の国民性ですね。同調志向は第一次産業(農業)には適していると思いますし、おそらく昔の農業文化から培っていった思想と推測されますが、もうそういう時代でもありませんから。第三次産業がなかなか発展しないのは同調思想が原因なのかもしれません。

西野さんはそういう同調圧力に立ち向かって、自分なりの答え(芸人の定義)を見つけます。少し長いですが引用してみましょう。

 

岡村さんは、漫才をして、コントをして、グルメロケをして、クイズ番組をして、ひな壇で頑張って……という、そういった仕事をする人を“芸人”と呼んでいる。

つまり、ここで言う「芸人」は“職業名”だ。世間の皆様が考える「芸人」も、こっち(職業名)だと思う。

人それぞれ、いろんな考えがあっていいし、どこまでいっても他人の人生の責任なんてとれないのだから、否定はしない。

 

しかし僕の考えは、岡村さんや世間の皆様のそれとは少し違っていて、進学校を卒業し、皆が大企業に就職していく中、「俺、芸人になる」と言っちゃう奴や、あと2年も働けば退職金を貰えるのに、その日を待てずに「沖縄で喫茶店を始める!」とか言っちゃうオヤジ……そういう人達が、その瞬間にとっている“姿勢”および、“そういった姿勢をとる人”のことを「芸人」と呼んでいる。

(省略)

「それもいいけど、こういう“オモシロイ”があってもよくない?」と提案したり、時に、「アイツのやっていることは、はたして正解なのかなぁ」という議論のネタになったり、そういった、存在そのものが「質問」になっている人を僕は芸人と定義している。

p.3-6(下線筆者)

 

その人のその瞬間の姿勢が“芸人”か~。存在そのものが「質問」をまき散らしていく人。そういう人が芸人だと。面白い視点ですね。この文章を読んでて気づいたのが「だから西野さんは捉えどころがないのか!」ということ。芸人ってこういう仕事! という枠組みで見ると理解ができない人なんですね。西野さん。

「みんなやってるんだから」と同調圧力をかけてくる人って恐怖も感じているんじゃないかな? 「コイツ、得体がしれない」と。自分は見ることのできない景色を見ている人は怖いですから。そんな「異質」の存在を「みんな」という枠組みに必死に押し込めようとしているんだと思います。自分の仲間にできるから。「仲間なら勝手なことはしないよね?」ってブレーキをかけられますから。

 

まずは西野さん、面白い視点を投げてきましたね。芸人とは何なのか。それは姿勢であり瞬間であると。次の話では独特な着眼点と面白いアイデアをぶつけてきますよ。

 

 

箱根駅伝をつまらなくしている存在

 

毎年真冬に行われる箱根駅伝。その日はテレビ中継もずっと駅伝を流していますね。しかし、テレビ局の熱に比べて箱根駅伝の魅力を感じていない、面白く思っていない人も結構いるんじゃないかな(僕はそう)? もしそうなら、何が駅伝をつまらなくしているんだろう? 西野さんは二つの存在を挙げています。一つ目は、

 

まず、ランナーの表情を撮るために、テレビカメラはランナーの真正面に構えている。そして、ランナーと同じスピードで後ろに下がるもんだから、どうしてもスピードが伝わりにくい。ときどき、横からのカットが入るので、その時に流れる後ろの景色で、ようやくスピードが伝わる。が、ほとんどは正面から。

しかたないよね。ランナーの表情が見たいんだもん。

p.21-22(下線筆者)

 

テレビカメラ。それがランナーと同じ速度で走っているからスピード感(50メートル9秒をずっと)がわかりにくい。慣性の法則。これは確かにその通りですが、「それは思いつかなかった!」というほどの意見でもない。ポイントは二つ目にあります。それは……。

 

 

真の原因とは!? 解決策はあるモノの「ママチャリ」化?

 

箱根駅伝のランナーのスピード感を殺し、箱根駅伝自体の面白さを殺している犯人は、カメラとランナーの間にいる白バイのオッサンだ。

最高速度200キロ以上出る白バイからしてみれば、時速20キロなんてヨチヨチ歩きで、白バイのオッサンは常に余裕の表情である。汗ひとつ流さず、実に涼しそう。いや、むしろ、退屈そうだ。この期に及んで、退屈そうなのだ。

画面から伝わるはずのランナーのスピードを殺していた犯人はコイツ。

バイのオッサンの表情である

p.22-23(下線筆者)

 

バイのオッサン! そんなん考えたこともなかったよ。言われてみると画面の白バイに目が行ってしまってた。ヘルメットしてるからどんな顔なんだろうって興味を持っちゃうし。結局白バイのオッサンの感情のない顔を見てしまいます。無表情で脇役に徹しているということだと思うんですが、逆にそれが興味をそそっちゃってる。その退屈そうな表情がランナーの凄さを相殺しているんじゃないかと。

脱帽ですね。西野さんの問題を分析する際の着眼点が独特で、「なるほどな~」と唸ってしまいました。

 

そして西野さんのアイデア

 

では、どうすればいいか?

答えは簡単。バイのオッサンには、白バイを降りていただき、代わりにママチャリ(お母さん専用自転車)に乗ってもらおうではないか

自転車といえど、時速20キロで走るのは至難の業だ。しかもそのペースを維持しなければならない。当然、白バイのオッサンあらため、ママチャリのオッサンは、汗をほとばしらせ、鬼の形相になる。それでいい。

それがいい。

「あの鬼の形相で激走しているママチャリのオッサンに。ついていってるってことは、ランナーはとんでもねぇスピードなんじゃね?」という算段だ。

箱根駅伝を、より面白くするカギは「白バイのママチャリ化」だったのだ

p.23-24(下線筆者)

 

バイのママチャリ化という斬新な方法。必死の人間を横に置くことでスイスイ進むランナーの凄さを伝えると。独特な着眼点と効果的な解決策。この本で公開するだけではもったいない意見ですね。もっともっと知ってほしいアイデアそうしたら白バイの人、フラフラで警備できないかも。とすこし疑ってみたりして(今更だけど白バイの役割って何なんや? 道路交通法?)。

 

こんなふうに西野さんの独創的な着眼点やアイデアが43個(43の話題で)紹介されています。勉強になりますし、自分ならどう考えるんだろうとなかなか先に進めない本。西野さんの何年分の考えなんだろうと距離を感じさせられました。そんな本。

 

「白バイのママチャリ化」のアイデアも面白いですが、次に紹介するアイデアはその何十倍もスゴい。その偉大な発想は、西野さんが創った東京五輪エンブレム「蝶」に隠されていました(蝶のモチーフにこんな意味があったとは! 見抜けなかった人も多いのでは?)。

 

 

蝶は5つのパーツでできている、ここがポイント

 

西野さんの考案した五輪エンブレム「蝶」の狙いが素晴らしかった。あの美しい二匹の蝶のデザインが実は西野さんの五輪に対する想いの1割程度しか表現できていなかった。そう感じるくらい背後に隠れたアイデアが巨大。その巨体を小さく小さく畳んで出来たのがあの蝶だったのだ(もったいない!)。

 

 

五輪エンブレム盗作疑惑を西野さんはどう見ていたか

 

そのアイデアを紹介する前に五輪エンブレム盗作疑惑に対する西野さんの意見を↓に記します。

 

お笑いで喩えるなら、「“医者と患者”の設定でコントを作ったら、ボケがかぶった」という状態。

これは大雑把にわけると犯罪ではなく事故なんだけれど、ただ、

そりゃ、“医者と患者”という手垢でベタベタの設定で作っちゃったらボケもかぶるよ。あたりめーだろ」である。

 

問題は、ここにあるんだよね。

 

佐野さんのデザインは“展開力”が評価されていたけど、そもそも書体って……もっと言えばアルファベットって、カーブや丸や直線の組み合わせで展開していくことを前提に作られている。

「そりゃ、アルファベットを元ネタにすりゃ展開力があるに決まってんじゃん」って話で、品種改良された「お米」を食べて「この『お米』はオカズに合う!」と言っているようなもの。いや、そもそもお米ってオカズに合うから。

p.225-226

 

使い古された“フォント”を主役にしちゃったら似たようなものが出てくるのも当たり前だろ、ということですね。設定が似ていたらボケも被ってくるぞ、と。展開力を評価する姿勢も的外れなのではないか、と。

当時よく聞いた“佐野さんのエンブレムは展開力がスゴい”、この言葉の意味を知ってる人は少ないんじゃないかな。僕は↑の部分を読んでる時もいまいちピンと来なかった。そこで調べてみると「T」エンブレムは実によく考えられて創られたものだったことがわかりました。

 

「T」エンブレムの趣向についてこの記事が非常にわかりやすい⇒やはり佐野研二郎は凄かった!五輪ロゴが盗用ではない明確な理由を簡潔に解説 | 政治・社会問題を素人が考える

 

右下の「よくわからないパーツ」は長野五輪エンブレムのオマージュだったとか、パラリンピックのエンブレムは平等の「=」を表していたとか。後付けだったとしてもこのアイデア自体はなるほどな~と思いました。そして評価された“展開力”。それはエンブレムを9分割することで様々な文字を生み出すことが可能ということだったのです。

 

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出典:やはり佐野研二郎は凄かった!五輪ロゴが盗用ではない明確な理由を簡潔に解説 | 政治・社会問題を素人が考える

 

ただね、↑のサイト読んでて疑問に思ったのは、「国民が求めているのは“上手さ”ではないのではないか」ということ。そもそも技巧を説明しないと伝わらない時点で……。技術は表現したいものを最大限に魅せるために導入するのであって、技術を全面に出すのは承認欲求にまみれた自己満足ですよね。感情に訴えるものがあるかどうか。その人の想いがあるかどうか。そこに問題があったのではないかと思います。「T」エンブレムには。

 

話がかなり逸れましたね。「アルファベットは基本的な図形の集まりだから展開(分解したり応用したり)できるのも当たり前、そして盗作問題は事故だ」と述べる西野さん。事故のはずがパクリ騒動(犯罪か?)にまで発展したことについて、すなわち世間による「パクリの線引き」について、次のように考察しています。

 

これは、世間の皆様が本能的に持っている「パクリの線引き」なんだけど、世間が「パクリだ!」とジャッジを下す線引きは、つきつめると「似ているか、似ていないか?」じゃなくて、「面白いか、面白くないか」ということなんじゃないかな?

(省略)

昔、GOING STEADYというバンドが『銀河鉄道の夜』という曲を発表した時に、「ユーミンの『守ってあげたい』のパクリだ!」という声が上がったんだけど、「たしかに、似てるね。でも、この曲、良くね?」と丸く収まった。つまり、「面白い」が勝っちゃったわけだ。

(省略)

パクリの線引きは、「面白いか、面白くないか」。

ここだと思う。

だから、佐野さんの一件は「パクリではない!」と主張しても無駄だったんだよね。

p.226-227(下線筆者)

 

「パクリ」という言葉で変装しているが、その中身は「面白い」であると。「パクリかどうか」は、「面白いかどうか」に置き換えられていたと。そして国民は「面白さ」を価値基準にエンブレムを品定めしていたと。そういうことだったんですね(その国民の流れにうすうす気づいていた人も多かったと思います)。

 

では、西野さんにとっての“面白いエンブレム”とは? 西野さんにじっくり聞いてみましょう。

 

 

西野さんのエンブレムに隠された真の意味

 

さて、なんてったって五輪エンブレム。

バナーに使われたり、Tシャツに使われたり、マグカップやピンバッジなど、様々なものに使われることになる。そうすると、一にも二にも「展開力」が必要だ。

p.229

 

展開を見据えることはやはり大事。しかし、展開力の強いアルファベットは使用しにくい状況……。西野さんは一つ目のアイデアを見つけます。

 

そこで“和柄”に目をつけた。

柄であれば商品の形は変幻自在、さらに和柄は日本国民の財産であり、誰のものでもなく、なにより、「日本ですよー!」が前面に押し出せてイイ。

(省略)

今回は東京五輪なので、江戸漆器をモチーフにすることに決めた。

p.230

 

ほうほう、東京の伝統工芸品「江戸漆器に目を付けたんですね。そして?

 

ただ、東京開催とはいえ、オリンピックは東京のものではなく、世界のものであり、スポーツを通じて、五大陸が一つになることが最大の目的だ。

なので、江戸漆器の「東京でっせ感」は2番目にして、4つの羽と1つの胴体、計5つのパーツ(五大陸)が力を合わせることで飛ぶことができる「蝶」のデザインを一番前に押し出した。蝶の羽の柄が「和柄」だ。

オリンピックとパラリンピックのエンブレムは並べられる機会が多いので、蝶を左右対称に描き、並べられた時に「泥にまみれながら美しい花を咲かせる」蓮の花になるよう工夫した。

p.231(下線筆者)

 

↓そして完成に至る

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う~ん、このアイデア5つのパーツ(大陸)が集まることで蝶は初めて飛べるという考えが素晴らしいですね。蝶の構造に隠されていたと大陸のの関連性を見抜いた!(選んだ話題の数「5」もここから頂戴しました)。僕は一生かかっても思いつかないな~。そのメッセージ性が(失礼ですが)もう少しわかりやすく『蝶』のデザインで表現されていたら……(いっそのこと実際の大陸の形を使って蝶を構成してみるとか)。五輪エンブレムに抜擢されていたかもしれませんね。

 

 

バズらせ得意西野さんのふところ刀、アンチを扇動する「マズ味調味料」とは?

 

素晴らしい蝶のアイデアを思いついた西野さんですが、これだけでは終わりません(僕らの期待にもちゃんと応えてくれます)。どんなに善行を積んでもやっぱり西野さんは西野さんです。自身の姑息さも存分に発揮していきますよ。

 

まず、一般公募が始まる前に「このアイデアキングコング西野っぽいからやめておこう」と皆が手を引くような布石を打っておこうと思った。

自分が応募する作品のデザインが他と被らないようにするために、“応募するエンブレムとは確実に別のものだけれど、しかし、その匂いが残っているエンブレム”をSNS上で先にアップし、バズらせて、他の参加者を牽制しておこうというわけ。

p.232(下線筆者)

 

う~んアタマの使い方をよく知ってらっしゃる。「俺がやるぞ」とツバをつけておこうと。その機転を別の方向に……。ここの「バズらせて」もポイントですよ! バズを起こすための工夫もなかなかです。

 

そういえば、花は「一輪、二輪……」と数える。そんでもってオリンピック(五輪)だ。そこで、五輪マークの五つの輪を「花」にしてみた。

もちろん、五輪マークをモジってはいけないことなど百も承知。

「五輪マークはモジっちゃダメなんだよ。西野は何も分かっちゃいねーな」という反対意見を生むことが狙い。花も「桜」ではなく「菊」にして、「桜のほうが良くね?」という反対意見を生んでみた。

p.233(下線筆者)

 

アンチの扱い方が上手いww。↑のような反論材料を西野さんは「マズ味調味料」と呼んでいます。最後にこれをヒトツカミすることでアンチが盛り上がって、その炎の上でSNSがこんがり香ばしく焼きあがると。その匂いに釣られた多くの人に「布石」を見てもらえる。さすが「好感度低い芸人No.1」の称号を冠するだけありますね。アンチがどう動くか、SNSがどのように拡散されていくかをよくわかってらっしゃる。

そして、行動の結果。

 

結果、ツイッターにアップした牽制用の五輪エンブレムは数万件リツイートされ、テレビのワイドショーなどでたくさん取り上げられ、「和柄は西野がやりまっせ」は少なくとも五輪エンブレムの公募を考えている人達には確実に伝わったと思う。

しかし、これによって「あ、『和柄』という手もあるな」と考えた人も同時に生んでしまったかもしれない。

つまり、ここまで書いておいて何だけど、ふたを開けてみたら牽制球としては、あまり機能しなかったと思う。

だけど、どうだっていいんです、そんなこと。

ここでの収穫は、「マズ味調味料」の拡散効果を知れたこと。

「ここに石を置くと、相手はこう動く」という仮説からの、実験と結果。

その過程が楽しいのです。

p.236-237

 

その過程が楽しいのです。

 

 

「子供が小さいから、ライブには行きにくい」という親御さんも、育児に疲れてライブに逃げ込む親御さんもいる。何かいい方法はないかなぁ?

 

この項ぜひ読んでほしい! 西野さんは少数派を見捨てません。ですが変な正義感をかざしてマイナーだけの空間をつくるわけでもない。メジャーとマイナーをうまく混和させる方法を考えます。

 

 

泣き声の問題

 

この話題のマイナーは「小さな子どものいる親御さん」。彼らのライブ参加に対する苦悩や問題について、話が始まります。

 

ときどき、「別にいいでしょ。赤ん坊が泣き続けたらダメとは書いてないわけだし!」というモーレツな開き直りで、数分間泣いている赤ん坊をあやしながら、観劇を続ける親御さんがいる。

もしかしたら、通路から離れた席に座っていて、「立ち上がると逆に迷惑がかかる」と思っている親御さんもいらっしゃるかもしれない。

こんな時、僕は、ある程度のところまでは泣いている赤ん坊をイジって、それ以上続くようなら、ロビーに出ていただくようにしている

これまで、「泣いている赤ん坊を外に出しやがった! ヒドイ奴だ!」と何度も何度も炎上したけれど、やっぱり劇場には劇場のマナーがあって、そこには数千円という大金を握りしめて、ようやくチケットを買った中学生もいるわけだ。僕には、この子達を守る義務があるんだよね。

あと、余計なお世話かもしれないけど、赤ん坊にとっても、とんでもないストレスだと思う。今の状況に対してSOSを出しているわけだから。親が、まず最初に助けてやれよ、と。

p.195-196(下線筆者)

 

泣いている赤ん坊をある程度はいじりますが、それで泣き止まない(時間がかかる)ようなら退場を願う。他のお客さんもいるから、ということですね。中学生についてもそうですが、赤ん坊の視点で考える姿勢が素晴らしいですね。ただ、確かにその通りなんだけど同時にやるせなさも感じてしまいます。西野さんもそのようで……。

 

ただ、「今はまだ子供が小さいから、西野のライブには行きにくい」という親御さんもいるだろうし、はじめての育児に疲れて、僕のライブに逃げ込んできた親御さんもいる

大金を握りしめてチケットを買った中学生も僕のお客さんなら、この親御さん達だって、僕の大切な大切なお客さんなわけだ。

できれば、安心してライブに足を運んで欲しいし、できれば最後までライブを観てもらいたい。せっかく来てくれたお客さんは、僕が一番帰したくない。外に出したいわけがない。

p.198(下線筆者)

 

「育児への疲れ」まで考えを広げるのはなかなかできないこと。頑張ってお金を貯めた中学生もお客さんなら、育児に励む親御さんも大切なお客さんです。「帰したいわけがない」とおっしゃっていますね。しかし、口だけでは意味がありません。西野亮廣独演会in東京』の会場に予定されていた「東京キネマ倶楽部」の構造に注目した西野さんは、自身が考えたアイデアを行動に移していきます。

 

 

楽屋をキッズスペースに!

 

そんでもって、劇場には楽屋がたくさんある上に、独演会なので、楽屋は僕しか使わない。つまり、空き楽屋が大量にあるわけだ。

これは使うしかないよね。

退席しやすい二階席に限り、お父さんお母さんの膝の上で観ることができる未就学児の入場を無料にしちゃう。そんでもって、楽屋をキッズスペースにして、ステージ上の様子が観れるようにモニターも手配しちゃう

こうすれば、赤ん坊が泣き出した時に、お父さんお母さんはキッズスペースで、ステージの続きを観ることができる。赤ん坊が泣きやめば、また席に戻ってくればいい。

もちろん私ときたら、稀代のエンターテイナーですから、キッズスペースも、「このままキッズスペースにいたいなあ」と思えるぐらい、メチャクチャ楽しい空間を演出しちゃう。これで、皆、幸せになれるんじゃないかな?

p.199-200(下線筆者)

 

・小さなお子さんを連れた方にはすべての席が独立していて動きやすい二階で観てもらう。

・大量に余っている楽屋をキッズスペースとして飾り、モニターをつなげてステージの様子も見られるようにする。

 

↓「東京キネマ倶楽部」二階はこんな感じ。子どもとゆったりできそうだ。

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(出典:ABOUT KINEMACLUB – 東京キネマ倶楽部

 

↑のアイデアを思いつくだけでも凄いのにちゃんと実現させる。これが西野さんなのですね。空いた楽屋に注目する。空き部屋がある会場は(会場でなくとも)結構ありそうで、みんな何かに使えるんじゃないかと薄々気づいているとは思うんですけど。アイデアが、ない。西野さんには、ある。流石ですね(「もちろん私ときたら~」のところに若干の照れを感じる)。

これからは劇場選びもこの観点で考えていこうと決意して。

 

お父さん、お母さん。赤ん坊をドンドン連れてきてください。

ご家族で、お笑いライブを楽しんでください。

p.201

 

「小さな子どものいる親御さんもライブを楽しめる工夫」、それは楽屋をキッズスペースに変えること。う~んお見事!

 

 

正論バカよ「イジメは娯楽」だ!

 

さあこの記事ラストのテーマがやってきます。その題名は「そりゃ『イジメやめようぜ』ではイジメが無くならないわけだ。娯楽なんだもん。」です! イジメの動機について提案したり、現行の対応策の根本的な誤り(正論のエゴ性)について西野さんらしく噛みついたりします(いつもどおり!)。

 

広告費をかけて好感度の高いタレントを起用してイジメ撲滅ポスターを作ったり、正義感溢れる先生達が「イジメやめようぜ」と何万回と叫び続けてきたが、イジメはちっとも無くなっていないし、今、この瞬間もどこかで誰かがイジメられている。

にもかかわらず、あいかわらず今日も、また広告費をかけてイジメ撲滅ポスターを作り、正義感溢れる先生達は「イジメやめようぜ」と叫んでいる。

(省略)

効かない薬をずっと飲んでいるようなもんだ。だからといって否定しているわけではないよ。「正しいことだとは思うけど、その方法ではイジメは無くならなかったんだから、もしかしたら、イジメの無くし方は、それじゃないんじゃない?」という提案。

(省略)

イジメを無くそうとする人達は、これまでずっと弱い側……つまりイジメられっ子側の気持ちに立って、イジメを見てきた。だけど、それでは解決策が出なかったわけだ。

p.157-158

 

「いじめやめよう」という正論は“誰が見ても”正しいと思える。しかし、それに強さはあるのか。イジメを無くす力はあるのか。“誰が見ても正しい言葉”は誰の心もざわつかせないのではないか。行動にもつながらない……。正論はその程度の存在なのかもしれません。

 

ただ、“正しいことをしている人”にとって「自分の反対意見は悪」になるので、「イジメやめようぜ」と叫んでいる人達に「そうじゃなくてね……」という意見をぶつけると、「俺たちは間違っていない! イジメを無くそうと思ってるんだ!」とヒステリックに騒ぎ立てるから、まぁ面倒くさいんだ、これが。

いつだって、正論バカが一番ブレーキを踏みやがる。

p.161

 

自分の感情(正義感)を満たすために簡単に「イジメは悪」と発言している。自分を批判する意見も「悪」。イジメの現実はそんなに簡単じゃないのに……。そんな齟齬が起きているように思います。正論バカはイジメを実は見ていないんじゃないか。いじめられている人間を直視するのではなく、その人を通して“いじめられているカワイソウな子”という自分のイメージを重ねているだけなんじゃないか。そのイメージがあると応援したいという気持ちをつくることもできるから。だから、イメージを押し付ける。本気で解決したいのならそのエゴを自覚して、イジメの難しさに向き合わないといけないでしょうね。

個人的な疑問もある。難しい現実にふたをして「あなたは悪くない」と言うのは本当にいいことなのだろうか。何が悪かったかを一緒に考えて、これからどうしていくかを一緒に考えて。それが正論をかざす人の「責任」なのではないか。イジメで偽物の自信を失ったなら(いじめを経験しなかったほとんどの大人は偽物の自信で生きている)、本当の自信を身につける方法を考えよう。イジメを無くすことに熱中するのではなく、イジメられた人のその後にちゃんと寄り添おう。それが大事だと思いますが、みなさんはどうイジメを考えますか?

 

西野さんの話に戻りましょう。いじめられっ子ばかりに視点を置いていても解決は見込めない、ということでしたね。

 

そして、見るべき子どもは“いじめっ子”なのだ。

 

 

イジメの動機とそれを上手く誘導するために

 

イジメを解決するためにいま必要なこと、それはイジメっ子の心理を正確に捉えること。イジメの動機。それは何なのか。「それはイジメの娯楽性」だと西野さんは説明します。

 

ならば思いきって、イジメっ子側に立ってイジメを見てみるとどうだろう? すると見えてくる「イジメの正体」。

結論を言うと、イジメは、イジメっ子からしてみれば「娯楽」なんだよね。お金も要らない、技術も要らない、工夫も要らない、とっても手軽にできる娯楽。そりゃ「イジメやめようぜ」ではイジメが無くならないわけだ。娯楽なんだもん。

「TVゲームばかりするな!」と親から怒鳴られて、その瞬間は電源を切っても、親が寝静まった頃にコッソリと再開した経験は皆にあると思う。まさに、あれだよね

p.159(下線筆者)

 

イジメっ子の立場でイジメを見直さないとダメだ。そこから見えてくるのは「イジメは娯楽だ」ということ。そう西野さんは述べています。イジメは自分たちでつくれるエンタメだと。イジメっ子は“楽しい”という感情を一度知ったために中毒状態になっていて、それを常に追い求めてしまっているのではないかと思いますね。「イジメはだめ!」と言えば言うほどむしろ「夜のTVゲーム」のような“内密でやる楽しみ”が増えるのかもしれません。逆にイジメを応援してしまっている、そんな風にも考えられますね。

 

ただ、娯楽を“間接的に”取り上げる方法が一つだけある。

それは「今、ハマっている娯楽よりも、もっと面白い娯楽を与えてあげる」という方法

極端にバカな例だけど、『プレステ3』をやめさせたかったら、「プレステ3をやめなさい」と怒鳴るのではなく、『プレステ4』を買い与えればいい。

イジメをやめさせたかったら、イジメよりも面白い娯楽を与えてあげればいい。

先生はイジメっ子に歩み寄って、「おい、ブルーハーツって知ってる?」と教えてあげればいい。ギターにハマったら、イジメなんてしている暇はない

p.160-161

 

イジメっ子に他の娯楽を与えること。それが新しい解決策なのではないか、ということですね。これまでやってきた方法で無理だったんだから、別の方法を考えよう、そして試していこう。それが西野さんの考え。そしてその方法は“楽しみの上塗り”。イジメっ子のことを理解しないと「ブルーハーツを教える」といったことも思いつかないでしょう。↑の文章は彼らの立場に立つことの重要さも示しています。(もしかしたらイジメには皆でやれるという意味合いもあるのかもしれません。ここにいる人間全員で楽しみを共有できる。ならば集団で楽しめる娯楽を与えるのも大事だと思います)。

 

ここからは僕個人の意見。僕は「勉強しろ!」の圧力がイジメに走らせているものと考えています。学生は机にかじりついてる姿を見せるべき。見せる……べき? 子どもの本心を無視した大人の勝手な理想像の押し付けがストレスになってしまって、自分の「楽しみたい!」という本心をイジメで表現してしまう。親や教師によって抑圧された子どもの心が、イジメという歪んだ形で発現してしまっている。イジメの加害者の子どもも教室という小さな枠組みを越えて見てみると被害者なんだよね。イジメっ子の頭を踏みつけている真の加害者は親(と先生)なんだ。「他人の家庭には不干渉」を根本的に改善していかないと、対症療法ではいつまでたっても……。という感触を持っています。

何かを作る体験をさせてあげるのが一番かなと思います。ブルーハーツのギターの音を作るように。ゆとり教育の一番の失敗はここなんじゃないかな。放課後の時間は作ったのに、放課後に過ごせる場所を作ることはしなかった。アフタースクールの多様性も考えないといけなかったのではないかと。たとえば、「マンガを描く教室」「ゲームを作るスクール」「小説を書きあう子どもたちのサークル」。文化系の教室の充実ですよね。ピアノや塾といった親がやらせたい習いものではなくて、子供がやりたいと思えるような教室が必要だったのではないか。何かをつくる楽しみを伝えられていたら、イジメの中毒性にハマることもなかったのではないか。

「勉強せえ」という人は正論信者なのだと思う。正論では解決しないのに。その正論がイジメを生み出している自覚はありますか?

 

「なんで、イジメっ子にそこまで歩み寄ってやらないといけないんだ!」という声もあると思うけど、目的は、「イジメを無くすこと」だからね。イジメっ子のエネルギーを押さえつけるのではなく、別方向に流してやればいい。

p.161

 

正論ブレーキ(バイアス)が西野さんの意見に降りかからないよう切に望みます(いやむしろ正論の火の粉にまみれた方が多くの人に伝わるかもしれません。マズ味調味料、でしたね)。

 

 

おわりに

 

西野さんの言葉で終わりにしましょう。

 

あなたが何かに挑戦し、結果が出ずにジタバタしているとき、外野にいる連中は、「迷走してるの?」と、あなたのことを笑うだろう。

そんなときは、こう返してやればいい。

「うん。迷走してるよ。キミみたいに、誰かが舗装してくれた道を歩いてないからね」

大丈夫。きっと上手くいくよ。

コケたら起きればいい。

踏み出そう。

 

ドキドキしてる?

 

(おわりに)

 

 

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